アルゴナウタイとトリートーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/08 07:20 UTC 版)
「トリートーニス湖」の記事における「アルゴナウタイとトリートーン」の解説
アルゴナウタイが乗ったアルゴー船がコルキスからの帰途、大嵐のためにシュルティス(現在のガベス湾)に吹き寄せられたとき、リビュエーの3人の娘たちが、それまで彼らを運んでくれた船に対して、船を背負うことでこの恩に報いるよう助言した。そこで乗組員たちは船を担いで12日間渇きに苦しめられながら運び、トリートーニス湖にたどり着いた。ここで彼らはトリートーンに迎えられ、トリートーンは船を曳いて海に押し出した。 このとき、トリートーンはエウペーモスに土塊を与え、タイナロン岬付近の海中にこれを投ずれば4代目の子孫がリビュアの支配者になるだろうと予言した。しかしそれはタソス島のそばで海中に落ち、このためにバットスがキュレネの支配者となった。土塊からはテーラ島が生じたという。 これに対して、ヘロドトスは次のような異説を伝えている。アルゴー船が完成し、イアーソーンらが豪華な生贄とともに青銅製の鼎を船に積み込み、デルポイをめざして出港したところ、マレアー岬のあたりで北風に押し流され、リビュアのトリートーニス湖の浅瀬に乗り上げてしまった。そこにトリートーンが現れ、海に出る水路を教える代わりに鼎を要求した。イアーソーンが申し出を受けると、トリートーンは鼎を自分の社に据え、アルゴー船の乗組員の子孫がこの鼎を持ち帰ったときには、トリートーニス湖をめぐって100のギリシアの町が建てられるだろうと託宣を下した。これを聞いたリビュア人たちは、その鼎を隠したという。
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