アラカンへの逃亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 06:08 UTC 版)
「シャー・シュジャー (ムガル皇子)」の記事における「アラカンへの逃亡」の解説
シャー・シュジャーはめげずに反撃の機会を狙いながらも戦い続けていたが、ついにベンガルの隣にあるビルマのアラカン王国への亡命を考えるようになった。彼はアラカン王サンダ・トゥダンマのもとに息子ザイヌッディーン・ムハンマド(スルターン・バンク)を使者として送り、彼は王の了解を得ることに成功し、多数の船を同伴してダッカへと戻った。 1660年4月6日、シャー・シュジャーは滞在していたタンダーを出て、12日にダッカに到着した 。のち、5月6日にダッカを発ち、12日にはアラカン行の船に乗りベンガルを後にした。彼は二隻の船に彼の家族、家来、そして金銀財宝を積んだという。そして、シャー・シュジャーとその一行はチッタゴンなどを経由しつつ、8月26日にアラカンに無事到着した。 シャー・シュジャーはアラカン王に歓迎され、家族には日常生活に必要なものを支給され、彼らの亡命は受け入れられた。
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