アグネスの泉
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アグネスの泉 | |
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ドイツ語: Agnesbründl | |
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概要 | |
自治体 | ウィーン・デープリング |
国 |
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座標 | 北緯48度16分24秒 東経16度17分53秒 / 北緯48.27331度 東経16.29796度座標: 北緯48度16分24秒 東経16度17分53秒 / 北緯48.27331度 東経16.29796度 |
アグネスの泉(アグネスのいずみ、ドイツ語: Agnesbründl)は、オーストリアの首都ウィーン第19区・デープリングの森の中にある泉 [1]。
民間信仰によれば、その水には病気を治癒する力があり、また水面を覗き込むと幸運をもたらす数字が映るという[1]。
歴史

18世紀の末頃、泉の傍にあったブナの大樹が、聖母マリアの姿像を思わせる形になったといわれる[2]。これが奇跡とみられて聖母信仰と結びつき、「処女の泉」や「マリアの泉」と呼ばれるようになった[3]。
1805年頃から水に治癒力があると謳われ始め、各地から巡礼者が来るようになった[2]。クレメンス・マリア・ホフバウアーとツァハリアス・ヴェルナーは信仰の発露として称揚したものの、行政は警戒を強めた[2]。
特定の日には2万人以上が訪れるほどだったため、1817年10月17日、ブナが根こそぎ撤去され、泉も埋められた[2]。
民俗学者テオドール・フェルナレーケンの『神話と習俗』(1859年)には、狩りの最中に迷った「カール」という名のスウェーデン国王が、「アグネス」という名の妖精と出会ったという伝説が収録されている。この頃から「アグネスの泉」と呼ばれるようになった[3]。
19世紀後半になると宝くじに関する伝説が発生し、泉の傍らで宝くじが売られるようになって人気を集めた[2]。
聖アグネスの日である1月28日、洗礼者ヨハネが斬首された日である8月29日、そして夏季には、大勢が夢占いのために仮眠する光景がみられた[4]。このため、1941年にウィーン市当局が「井戸浚い」の名目のもとに泉の形状を改変し、樹木に懸っていた多数の絵なども撤去し、代わりに碑を建てた[4]。
出典
- ^ a b 小谷一夫 2011, p. 141.
- ^ a b c d e シュミット 1988, p. 27.
- ^ a b シュミット 1988, p. 28.
- ^ a b シュミット 1988, p. 29.
参考文献
- レーオポルト・シュミット「オーストリア民俗学の歴史 (6)」『愛知大学国際問題研究所紀要』第7巻第86号、愛知大学国際問題研究所、1988年7月。
- 小谷一夫「森と水の記憶 : ウィーン周辺部の伝説について」『兵庫県立大学環境人間学部研究報告』第13巻、兵庫県立大学、2011年3月、135-144頁、CRID 1050282677543564416、ISSN 13498592。
外部リンク
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