アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所からの解放とは? わかりやすく解説

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アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所からの解放

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/02 07:56 UTC 版)

1945年、新たにアウシュビッツにて解放された収容者たち

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所からの解放(アウシュヴィッツ ビルケナウきょうせいしゅうようじょからのかいほう)では、以下を解説する。1945年(昭和20年)1月27日、ナチ政権ユダヤ人問題に対する「最終的解決」の一環として100万人以上を殺害した、占領下ポーランド英語版強制収容所および絶滅収容所であるアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、ヴィスワ=オーデル攻勢中のソ連赤軍によって解放された。収容者のほとんどは死の行進英語版を強いられたが、約7000人が取り残された。ソ連兵は生存者の救出を試み、ナチ政権の犯罪の規模に衝撃を受けたという。この日は国際ホロコースト記念日となっている。

背景

1940年から1945年にかけ、ナチ政権により約130万人(ほとんどがユダヤ人)がアウシュビッツに強制送還され、110万人が殺害された[1]。1944年8月には、施設全体に13万5000人以上の捕虜がいた[2]。1945年1月、赤軍がヴィスワ=オーデル攻勢を開始し、収容所に接近した後、6万人近い収容者が死の行進で西方へ強制退去させられた[1][3]。収容者は主にヴォジスワフ・シロンスキー英語版に連行されたが、グライヴィッツ(グリヴィツェ[注釈 1]にも連行された[4]。そこでホロコースト列車英語版に乗せられ、ドイツの強制収容所に移送された[5]。しかし、収容所の解放は赤軍の特定の目標ではなく、ポーランドを西に前進した結果として起こったものであった[6]。 赤軍はすでに1944年初頭から半ばにかけてバルト地域の強制収容所を解放しており、その他の強制収容所も1945年5月にドイツが降伏しヨーロッパにおける第二次世界大戦が終結するまで解放され続けた[7]

解放

アウシュビッツ強制収容所を解放するソ連兵

第322狙撃師団ロシア語版の赤軍兵士は1945年1月27日15:00にアウシュヴィッツに到着した[8][9]。アウシュヴィッツ第三(モノヴィッツ)、アウシュヴィッツ第二(ビルケナウ)、アウシュヴィッツ第一[注釈 2]、そしてオシフィエンチムの町とブジェジンカの村周辺の戦闘で、合計231名の赤軍兵士が死亡した[10][11]。ほとんどの生存者英語版にとって、明確な解放の瞬間はなかった。収容所からの死の行進の後、SS-TVの看守たちは去っていった[12]

およそ7,000人の捕虜が置き去りにされ、そのほとんどが収容の影響で重病を患っていた[1]。取り残された人々の大半は、中年の大人か15歳以下の子供だった[13]。また、600体の死体、37万着の男性用スーツ、83万7000着の女性用衣服、7メトリックトン (7,000 kg)の人毛が見つかった[9]。モノヴィッツには約800人の生存者がおり、収容所も1月27日に第1ウクライナ戦線の一部であるソ連赤軍第60軍ロシア語版によって解放された[14]

戦場で死に接してきたソ連赤軍兵でさえ、強制収容所での蛮行に衝撃を受けたようだ。第107歩兵師団長であった赤軍大将ワシーリー・ペトレンコは、「毎日人々が死んでいくのを目の当たりにしていた私は、生きた骸骨と化した囚人たちに対するナチスの言いようのない憎悪に衝撃を受けました。ナチスによるユダヤ人への扱いについては様々なビラで読みましたが、女性、子供、老人への扱いについては何も書かれていませんでした。アウシュビッツで初めて、私はユダヤ人の運命を知りました」と述べている[6]プラウダ紙などソ連の新聞は、クレムリンプロパガンダに従い、ユダヤ人について言及しなかった[6][15]

到着するや否や、(ポーランド赤十字の援助を受けた)解放軍は医療と食料を組織して生存者の救助を試みた。赤軍の野戦病院は4,500人の生存者を救護した。収容所を記録しようとも努めている[16]。 1945年6月の時点で、収容所にはまだ300人の生存者がいたが、衰弱していて移動に叶わなかった[17]

記念

2020年1月27日、アウシュヴィッツとホロコーストの生存者200人以上が、解放75周年を記念して旧アウシュヴィッツ第二ビルケナウ収容所のデスゲート前に集合した際の写真。

解放の日は、国連欧州連合によって国際ホロコースト記念日として承認されている[18][19] 。75周年にあたる2020年には、イスラエルルーベン・リブリン大統領主催の世界指導者会議「世界ホロコーストフォーラム英語版」が開催された。会議には、米国のナンシー・ペロシ下院議長ロシアプーチン大統領チャールズ王太子ドイツフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー連邦大統領ウクライナヴォロディミル・ゼレンスキー大統領らが出席した[20]

2025年1月、ポーランドドナルド・トゥスク首相は、国際刑事裁判所からネタニヤフ首相に逮捕状が出されている英語版にもかかわらず、首相を含むイスラエルの高官に対しアウシュヴィッツ解放80周年記念行事への安全な渡航を保証した[21]。なお2022年のロシアのウクライナ侵攻以降、ロシア代表はこの行事に招待されていない[22]

注釈

  1. ^ グライヴィッツはドイツ語名、グリヴィツェはポーランド語名
  2. ^ アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所とは、第一から第三までの収容所群の総称である。 本文からもわかる通り、第一となる基幹収容所、第二となるビルケナウ収容所、第三となるモノヴィッツ収容所があった。

引用

  1. ^ a b c Online Exhibition — the liberation of Auschwitz” (英語). United States Holocaust Memorial Museum. 2020年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月29日閲覧。
  2. ^ Wachsmann 2015, p. 1771.
  3. ^ The cessation of mass extermination / Evacuation / History / Auschwitz-Birkenau”. Auschwitz-Birkenau State Museum. 2020年1月21日閲覧。
  4. ^ Hojka & Kulpa 2016, p. 8.
  5. ^ Piper 2009, p. 212.
  6. ^ a b c Stone 2015, p. 46.
  7. ^ Wachsmann 2015, pp. 1767, 1772.
  8. ^ Wachsmann 2015, p. 1770.
  9. ^ a b Tharoor, Ishaan (1945年1月27日). “What a Soviet soldier saw when his unit liberated Auschwitz 70 years ago”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/news/worldviews/wp/2015/01/27/what-a-soviet-soldier-saw-when-his-unit-liberated-auschwitz-70-years-ago/ 2020年1月21日閲覧。 
  10. ^ Strzelecki 2001, p. 220.
  11. ^ Stone 2015, p. 44.
  12. ^ Stone 2015, p. 30.
  13. ^ Stone 2015, p. 47.
  14. ^ Schmaltz 2009, p. 218.
  15. ^ Wachsmann 2015, p. 33.
  16. ^ Stone 2015, pp. 46–47.
  17. ^ Stone 2015, p. 48.
  18. ^ The European Union and Holocaust remembrance”. European Parliament. 2020年1月21日閲覧。
  19. ^ International Holocaust Remembrance Day” (英語). United States Holocaust Memorial Museum. 2020年1月21日閲覧。
  20. ^ Gross, Judah Ari. “With 10,000 officers, police gear up to protect massive Holocaust commemoration”. Times of Israel. https://www.timesofisrael.com/with-10000-officers-police-gear-up-to-protect-massive-holocaust-commemoration/ 2020年1月21日閲覧。 
  21. ^ Gostkiewicz, Michal (2025年1月23日). “Auschwitz: Poland divided on pledge not to arrest Netanyahu”. Deutsche Welle. https://www.dw.com/en/auschwitz-poland-netanyahu-arrest-pledge/a-71377468 
  22. ^ “80th anniversary of Auschwitz liberation marked by dwindling number of survivors”. CBC. (2025年1月27日). https://www.cbc.ca/news/world/holocaust-anniversary-1.7442237 

典拠




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