むつ原子力商船事故とスリーマイル原発事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:09 UTC 版)
「反核運動」の記事における「むつ原子力商船事故とスリーマイル原発事故」の解説
1970年代になると、「核の商業利用」による災害が、日本国内でも日本国外でも起こるようになった。1970年代の代表的な原子力災害として、1974年9月1日の原子力商船むつの放射能漏れ事故、1979年3月28日の米国でのスリーマイル島原子力発電所事故が挙げられる。 原子力商船むつの放射能漏れ事故が起こると、地元むつ市では、原子力商船むつの入港への反対運動が起こった。この後、日本では、原子力商船は衰微した。 1979年のスリーマイル原発事故に伴う反核運動では、広瀬隆が『東京に原発を!』という著書を著して、原子力発電への反対運動を展開した。また、1982年には、国際連合総会で、日本の被爆者が出席して、核兵器の廃絶を主張した。
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