うばがもちとは? わかりやすく解説

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うば‐が‐もち【×姥が餅】

読み方:うばがもち

滋賀県草津市名物で、上に白砂糖をのせた指頭大のあんころ餅近江(おうみ)国の郷代官であった六角義賢(ろっかくよしかた)に幼児託され乳母(うば)が生計のために売りはじめたものという。


姥が餅

(うばがもち から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 01:33 UTC 版)

うばがもちやのうばがもち
草津宿にある姥が餅の茶屋
歌川広重『東海道五十三次 草津宿』

姥が餅(うばがもち)は滋賀県草津市で製造販売されている和菓子あんころ餅の一種で、草津宿の茶屋で出され、現在は国道1号沿いに本店を置く。乳房を型どっているのが特徴[1]

来歴

姥が餅のロゴ

姥が餅は永禄年間(1558年-1570年)、織田信長によって滅ぼされた佐々木家義賢の曾孫が「福井との」という乳母に預けられた際、曾孫の養育のため乳母が東海道沿いに餅屋を開き、餅を売ったのが起源とされる[2]

やがて評判が広がり乳母が作った餅を「姥が餅」と呼ばれ草津宿の名物となった[3]

数年経て1600年、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が当時84歳となった乳母の餅を献上され、『養老亭』と書いた3字の額を送った[4]

松尾芭蕉与謝蕪村をはじめ多くの著名人が姥が餅の茶屋に寄り、作品や文学の題材になった[5]

出典・脚注

  1. ^ 『日本銘菓事典』P.148 山本候充・編 東京堂出版 2004年
  2. ^ うばがもち物語”. うばがもちや. 2019年9月16日閲覧。
  3. ^ 戦国時代のおしごと!? うばがもち物”. うばがもちや. 2019年9月16日閲覧。
  4. ^ 家康や芭蕉が食べた姥が餅 広重や蕪村も食べた姥が餅”. うばがもちや. 2019年9月16日閲覧。
  5. ^ 黒川光正と姥が餅”. 菓子資料室 虎屋文庫 (2017年2月16日). 2019年10月3日閲覧。

関連項目

外部リンク



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