『アパラチアの春』(1944年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:53 UTC 版)
「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ」の記事における「『アパラチアの春』(1944年)」の解説
第二次世界大戦中の1943年はバークシャー音楽祭の25周年に当たっていた。エリザベスはピッツフィールドでの記念イベントとして、マーサ・グレアム振付による新作バレエの上演を企画し、そのための音楽を前年のうちからコープランドとチャベスに依頼していた 。しかし当時は戦時中でありガソリンが配給制になっていたため、首都から遠いピッツフィールドでは集客が見込めず、9月に行う予定であった記念イベントは諦めざるを得なかった。当時の議会図書館音楽部長のハロルド・スピヴァッケ(英語版)は開催時期を1ヵ月遅らせ、エリザベスの79歳の誕生日(10月30日)にワシントンD.C.で行う「ファウンダーズ・デイ・コンサート」をバレエ公演にすることを提案した。しかし、チャベスの音楽が完成しなかったため公演はさらに1年延期となり、1944年になってクーリッジ財団からヒンデミット、ミヨーに新たなバレエ音楽が委嘱された。なお、コープランドによる楽曲は当初『マーサのためのバレエ』というタイトルであったが、初演直前にグレアムによって『アパラチアの春』に変更された 。 1944年10月28日から3日間にわたって行われた第10回クーリッジ音楽祭最終日の10月30日、エリザベスの80歳の誕生日を祝うマーサ・グレアムの新作バレエ3作品、ミヨーの『春の戯れ』による『イマジンド・ウイング(英語版)』、ヒンデミットの『エロディアード(英語版)』による『ミラー・ビフォア・ミー』、コープランドの音楽による『アパラチアの春』が初演された。『アパラチアの春』は、エリザベスの委嘱作品の中で最も有名な作品とされ、コープランドはこの作品で1945年にピューリッツァー賞を受賞している。
※この「『アパラチアの春』(1944年)」の解説は、「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ」の解説の一部です。
「『アパラチアの春』(1944年)」を含む「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ」の記事については、「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ」の概要を参照ください。
- 『アパラチアの春』のページへのリンク