「県立」ではない理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 02:39 UTC 版)
「長野県高等学校一覧」の記事における「「県立」ではない理由」の解説
長野県の県立高等学校の正式名称は、上述のように「県立」ではない「長野県○○高等学校」である。 明治時代には「県立」を名乗っていたが、1920年(大正9年)の県令第38号によって県立学校から「立」の字を削除すると命令された。 この理由について、長野県教育委員会によれば当時の経緯は定かではないという。 同県で教育長を務めた山口利幸は「確たる理由は分からないが、公私立ともに公教育を担う中で、官製の権威付けともとられかねない『県立』という呼び方を排したのだろう」と語った。 また同県教育委員会高校教育課の担当者も「当時は市町村立や組合立の高校もあり、それが順々に県立に編入されていった経過がある。県独自の高校ではなく、県民と協働して高校をつくっていくといった意味合いがあったのではないか」と推測した。
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