「月30日制」の誤解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/03 05:31 UTC 版)
「ソビエト連邦暦」の記事における「「月30日制」の誤解」の解説
1929年のソビエト連邦暦導入時、アメリカの『タイム』誌はこの暦について、「フランス革命暦にならい、1月から12月までのすべての日数を30日とし、残りの5日(閏年は6日)は月と月の間にどの月にも属さない休日として加えられる『究極の暦』」と報じた。1930年には政府の委員会が「ソビエト革命暦」としてこの方式の導入を諮問したが、政府はグレゴリオ暦を続ける他のヨーロッパ諸国とかけ離れてしまうという理由でこれを採用しなかった。 もし導入された場合、どの月にも属さない5日(6日)は以下の通りとなっていた。 レーニンの日 1月30日の翌日(計1日) - レーニンの命日は1月21日 労働の日 4月30日の翌日、及びその翌日(計2日) - 翌日が5月1日のメーデー 産業の日 11月7日の翌日、及びその翌日(計2日) - 11月7日は十月革命(ロシア革命)記念日 閏日 (閏年のみ)2月30日の翌日
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