「仁和寺御伝」
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法仁に関するまとまった記述は、『仁和寺史料寺誌編二』所収「仁和寺御伝」がほぼ唯一の史料である。これは、1500年前後に活躍した尊海によって、後醍醐崩御から150年以上後の文亀4年(1504年)1月に第一稿が書かれたものである。 同書によれば、生誕は正中2年(1325年)。建武元年(1334年)に親王宣下を受けて「躬良親王」となり、延元3年/暦応元年(1338年)仁和寺大聖院で出家。 正平5年/観応元年(1350年)に法守入道親王(後伏見天皇皇子)から伝法灌頂を受けた。翌年二品に叙され、綱所を下賜され、六勝寺検校に補任された。 文和元年/正平7年10月25日(1352年12月2日)に入滅、享年数え28歳。
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