「ボズマン戦争」と「パウダー川の戦い」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 01:03 UTC 版)
「スー族」の記事における「「ボズマン戦争」と「パウダー川の戦い」」の解説
「ボズマン街道の戦争」と「パウダー川の戦い」とは、1866年から1868年までのワイオミング準州とモンタナ準州で行われたスー族およびシャイアン族と合衆国の間の武力紛争のことで、白人から彼らにとって著名なスー族部族員であるレッド・クラウドにちなんで、「レッドクラウド戦争」とも呼ばれる。ワイオミング北中部のパウダー川流域の占有権を巡って行われた戦いで、そこにはモンタナの金鉱山への第一のアクセスルートであった「ボズマン街道」が通っていた。 戦争は1868年の「ララミー砦条約」で和解がもたれ、白人は「砦を閉じ、ミズーリ以西のダコタ地方、ブラックヒルズ、プラット川とビッグホーン山脈間の土地を、永久に彼らスー族に与える」と条約で約束した。 ちなみに、レッド・クラウド自身はこの戦いになんら関与していない。またこの時代のスー族の大権限を持った長老たちは「ビッグ・ベリー(大きな腹)」と呼ばれていたが、レッド・クラウドはこの「ビッグ・ベリー」のなかにも属していない。スー族とシャイアン族にとっては、「パウダー川の戦い」は彼らの戦争であって、「レッド・クラウド戦争」は、単に白人側がそう呼んでいるだけのことである。
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