RCトゥーロン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/15 23:45 UTC 版)
正式名称 | Rugby Club Toulonnais | |||
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ユニオン | フランスラグビー連盟 (FFR) | |||
創設年 | 1908年 | |||
本拠地 | トゥーロン | |||
グラウンド | スタッド・マイヨール | |||
収容人数 | 17,500 | |||
会長 | ムラド・ブジェラル | |||
ヘッドコーチ | Pierre Mignoni | |||
主将 | ラファエル・ラカフィア | |||
所属リーグ | トップ14 | |||
2023-24 | 4th(プレーオフ・準々決勝敗退) | |||
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公式サイト | ||||
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歴史
1908年6月、セレクシオン・マリティム、スタッドヴァロワといったクラブの選手たちが合流する形でRCトゥーロンが創設された[1]。成長を続けたクラブは1931年フランス選手権の決勝でリヨンOUを破り初優勝を果たし、初めてブレニュス盾を手にした。決勝が行われたボルドーから帰ってきたチームは3万人もの地元住民に熱狂的に迎えられたという。その後1932年から1986年にかけては4回国内選手権の決勝に進んだもののタイトルを逃した。
ダニエル・エレロがコーチに就任してからクラブは躍進し、1987年にはラシン・クラブ・ド・フランス、1992年にはビアリッツ・オランピックをそれぞれ破り、優勝を果たした。しかし、その後は思うような成績を残せないなか経営が悪化し、1000万フランもの赤字が明らかになったことで2000年にフランス・ラグビー・リーグからプロD2(2部)への降格を言い渡されてしまった。2004-05シーズンにプロD2で優勝し、5年ぶりにトップ14に復帰したものの次のシーズンで26試合中3勝に終わりたった1年でプロD2に戻ることになった。
2006年、コミック・ストリップで財を成したトゥーロン出身の実業家ムラド・ブジェラルはクラブの新たな会長となり、RCトゥーロンをビッグクラブにすることを目標にアンドリュー・マーティンズやゴンサロ・ケサダなどの有力選手を獲得した。特にニュージーランド代表でキャプテンも務めたタナ・ウマガの加入は大きな話題となった。2008年、プロD2で優勝し再びトップ14に昇格するとブジェラル会長の有力選手獲得によるチーム強化はますます進められ、イングランド代表のジョニー・ウィルキンソン、オーストラリア代表のジョージ・グレーガン、ジョージ・スミス、アルゼンチン代表のフェリペ・コンテポーミらと契約が結ばれた。その後、徐々に結果も伴い始めたRCトゥーロンは2012年にトップ14準優勝、2013年にハイネケンカップ優勝・トップ14準優勝、2014年にはハイネケンカップとトップ14でともに優勝を果たし、ヨーロッパ有数の強豪クラブとなった。2015年にはヨーロピアンラグビーチャンピオンズカップを制し、前身大会のハイネケンカップと合わせて3連覇を達成している。
スタジアム
本拠地として使用しているスタジアムはトゥーロンにあるスタッド・マイヨール(Stade Mayol)である。その名称はクラブのためにスタジアムの建設地を寄付したとされる20世紀初頭の地元出身歌手フェリックス・マイヨールに由来する。収容人数は15,400人。
- ^ クラブ史(公式サイト)
- ^ Pilou Pilou-France's very own haka
- ^ Effectif . Rugby Club Toulonnais. 2021年9月4日閲覧。
- 1 RCトゥーロンとは
- 2 RCトゥーロンの概要
- 3 ピルピル
- 4 歴代所属選手
- 5 関連項目
- RCトゥーロンのページへのリンク