KEIRINグランプリ'88 KEIRINグランプリ'88の概要

KEIRINグランプリ'88

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/10 01:21 UTC 版)

出場選手

車番 選手 登録地
1 滝澤正光 千葉
2 山口健治 東京
3 中野浩一 福岡
4 佐々木昭彦 佐賀
5 坂本勉 青森
6 佐古雅俊 広島
7 井上茂徳 佐賀
8 本田晴美 岡山
9 馬場進 千葉
  • 誘導員 - 恩田繁雄

競走内容

競走結果

着順 選手 決まり手
1 井上茂徳 差 
2 山口健治
3 滝澤正光
4 佐々木昭彦
5 中野浩一
6 佐古雅俊
7 坂本勉
8 馬場進
9 本田晴美

配当金額

枠単 5-2 2,710円

エピソード

  • 当年のレースは、当初は甲子園競輪場での開催が決定していたが、当年夏頃に開催返上の申し入れがあり、立川競輪場がその代替地として引き受けることになった。
  • 翌年のKEIRINグランプリ'89は中止となったが、実際にはこの大会でもあわや中止という危機に陥っており、中止は直前で回避されている(競輪五十年史より)。
当時、選手会が日本自転車振興会(以下日自振、現在のJKA)に対し、(1)競輪選手は4150人を適正数にされたい。(2)KPK以降の3層9班制の早期見直しを求める。(3)競輪学校への年間入学者を150人にされたい。…という要求を付き付けた。選手会側は、この要求が飲めなければグランプリでの誘導員斡旋を拒否する、という強硬姿勢に出たが、最終的にグランプリ開催当日の朝6時、日自振が(3)を飲むことで決着した。(3)については、「新陳代謝による活性化」を狙う日自振(当時の日自振としては、競輪学校入学者は年間200人と考えていた)と、「現役選手の大量リストラに繋がる」という選手会との対立にあった。
  • 当レース終了後の賞金獲得ランキング上位3名は、滝澤正光(1位)、井上茂徳(2位)、中野浩一(3位)となったが、いずれも年間獲得賞金額は1億円を突破。年間に3人も1億円突破者が出たのは競輪史上初のことであった。

関連項目

外部リンク




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