黒岩涙香 経歴

黒岩涙香

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/02 02:24 UTC 版)

経歴

土佐国安芸郡川北村大字前島(現在の高知県安芸市川北)に土佐藩郷士・黒岩市郎の子として生まれる。藩校文武館で漢籍を学び、16歳で大阪に出て中之島専門学校(後の大阪英語学校)に学び英語力を身につける。翌年、上京して成立学舎慶應義塾に進学するも、いずれも卒業せず。大阪時代から新聞への投書を始め、自由民権運動に携わり1882年には官吏侮辱罪により有罪の判決を受けた。

「同盟改進新聞」や大平三次の経営する「日本たいむす」に新聞記者として入社後、1882年に創刊された「絵入自由新聞」に入社。2年後に主筆となり、語学力を生かして記者として活躍していくも、後に翻案小説に取り組むようになる。「今日新聞」(後の「都新聞」)に連載した翻案小説『法廷の美人』がヒットして、たちまち翻案小説スターとなり、次々に新作を発表した。逐語訳はせず、原書を読んで筋を理解したうえで一から文章を創作していた。1889年、「都新聞」に破格の待遇で主筆として迎えられたが、社長が経営に失敗。新たに社長に就任した楠本正隆と衝突して退社。

1892年に朝報社を設立し、「萬朝報」を創刊した(紙名には「よろず重宝」の意味がかけられている)。タブロイド判の日刊新聞で、涙香の『鉄仮面』『白髪鬼』『幽霊塔』『巌窟王』『噫無情(あゝ無情)』などの代表作を次々に掲載したり、『相馬家毒殺騒動』(相馬事件)や『淫祠蓮門教会』(蓮門教)といったスキャンダラスな出来事を他紙よりも長期にわたり、ドラマチックに報道することで部数を伸ばしていく。一時は東京一の発行部数を誇り、最大発行部数は30万部となった。また有名人無名人の愛人関係を本人はもちろん愛人も実名住所職業入りで暴露した人気連載「弊風一斑蓄妾の実例」も涙香の執筆によるものであった。こうしたスキャンダル報道だけでは、やがて大衆に飽きられて売れなくなると、涙香は幸徳秋水内村鑑三堺利彦らといったインテリに参画を求めた。1901年7月には「理想団」を設立、人心の改善、社会の改良を目指し、青年の人気を得た。しかし1903年になって、日露問題に非戦論をとなえていた「萬朝報」が経営悪化を理由に開戦論に転じたことで、この3人の好論客は退社している。1904年2月11日、東京かるた会をつくり、常磐木倶楽部で第1回競技会開催。

1911年に朝報社より婦人雑誌「淑女かゞみ」を創刊。婦人問題について執筆し、『小野子町論』『予が婦人観』などを刊行する。シーメンス事件では政府を攻撃したが、続く大隈内閣を擁護して不評をまねいた。1915年の御大典に際して、新聞事業の功労により勲三等に叙せられる。同年に長男のために米問屋兼小売商の増屋商店を開業。1920年、肺癌のため東京帝国大学附属病院で死去[1][2]。戒名は黒岩院周六涙香忠天居士(自らの撰による)[2]


  1. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)118頁
  2. ^ a b 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)133頁
  3. ^ a b c d e f g h i 「黒岩大」とは誰なのか:「涙香伝」のために 奥武則、法政大学社会学部学会『社会志林』巻60号 2014
  4. ^ a b 『日本 の "創造力":近代・現代を開花させた四七〇人 第7巻 驀進から熟成へ』日本放送出版協会, 1992、p329-331
  5. ^ 古本夜話103 黒岩涙香と出版 小田光雄 出版・読書メモランダム 2011-06-04
  6. ^ a b c 『黒岩淚香伝』伊藤秀雄、国文社, 1975、p69-70
  7. ^ a b 『弊風一斑畜妾の実例』黒岩淚香、社会思想社, 1992、p190-200
  8. ^ 『百人一首研究資料集, 第4巻』吉海直人、クレス出版, 2004、p58
  9. ^ a b c 黑岩周六 (男性)『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  10. ^ 『黒岩淚香伝』伊藤秀雄、国文社, 1975、p22
  11. ^ 『四十五年記者生活』松井広吉著 昭和4
  12. ^ 『黒岩淚香伝』伊藤秀雄、国文社, 1975、p4
  13. ^ 『黒岩淚香研究』伊藤秀雄、幻影城, 1978、p32
  14. ^ 『黒岩淚香伝』伊藤秀雄、国文社, 1975、p93
  15. ^ いいだもも『黒岩涙香 探偵実話』リブロポート, 1992、p344
  16. ^ 探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-す-
  17. ^ {{青空文 庫|000179|1416|新字新仮名|血の文字}}
  18. ^ 従来、この作品が原作とされていたが、小森健太朗が原書を取り寄せて読んでみたところ、妖精物語であり、『怪の物』の原作ではなかった(小森健太朗『英文学の地下水脈』東京創元社、2009年)。
  19. ^ 『幽霊塔』:新字新仮名 - 青空文庫
  20. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1915年11月10日。


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