鳩の頸飾り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 13:59 UTC 版)
再発見・翻訳
17世紀オランダの大使としてオスマン帝国で生活したV・ヴェルナーが、現地で集めた中東諸国語の文献をライデン大学に寄贈した[注釈 16]。その中に『鳩の頸飾り』写本も含まれており、19世紀に同大学の東洋学者ラインハルト・ドズィーによって価値を見出された。ドズィーはアンダルス研究の専門家であり、著書『スペイン・ムスリム史』(1861年)に部分訳を掲載したところ、各国の研究者から注目を集める。部分訳はドイツ語に訳され、スペイン語への完訳も計画された。スペイン語訳は研究者の他界によって中断するが、ロシアの東洋学者D・K・ペトロフが1914年にアラビア語版を公刊してテクスト研究が進展した。1931年のアロイス・リチャード・ニークルの英語訳でさらに注目され、訳書が増えていった[注釈 17][70][69]。日本語訳はイスラーム学者の黒田壽郎が翻訳し、『鳩の頸飾り 愛と愛する人々に関する論攷』という書名で1978年に出版された。日本語訳の底本には、カイロ大学のT・A・マッキーが原典校訂をしたアラビア語版が用いられている[71]。
現存するイブン・ハズムの学術的な代表作は『諸宗派・諸党派・諸分派についての諸章』であるが、本書はそれよりも有名になった[10]。
出典・脚注
参考文献
- イブン・ハズム 著、黒田壽郎 訳『鳩の頸飾り 愛と愛する人々に関する論攷』岩波書店〈イスラーム古典叢書〉、1978年。
- 大髙保二郎; 久米順子; 松原典子; 豊田唯; 松田健児『スペイン美術史入門―積層する美と歴史の物語』日本放送出版協会、2018年。
- 岡﨑桂二「イスラーム神秘主義詩の道程 : ズフディーヤ・ガザル・ハムリーヤー」『四天王寺大学紀要』第59号、四天王寺大学、2014年3月、9-38頁、2020年8月8日閲覧。
- 岡﨑桂二「イブン・アラビー『熱望の翻訳者(Turjumān al-ashwāq)』―翻訳・注解」『四天王寺大学紀要』第67号、四天王寺大学、2019年3月、385-414頁、ISSN 1883-3497、2020年8月8日閲覧。
- 鎌田繁「イブン・ハズムとユダヤ教」『CISMOR ユダヤ学会議第2回 ユダヤ学の多様性:取り巻く異文化との対話』、同志社大学一神教学際研究センター、2006年12月、61-70頁、2020年8月8日閲覧。
- マーク・カーランスキー 著、川副智子 訳『紙の世界史 - 歴史に突き動かされた技術』徳間書店、2016年。(原書 Kurlansky, Mark (2016), Paper: Paging Through History)
- 狩野希望「イブン・ハズム著『伝承による装飾』より「賃約の書」(1)」『イスラム思想研究』第2巻、東京⼤学⼤学院⼈⽂社会系研究科イスラム学研究室、2020年4月、15-31頁、ISSN 24348732、2020年8月8日閲覧。
- 佐藤健太郎 著「イスラーム期のスペイン」、中塚次郎; 関哲行; 立石博高 編『スペイン史1 古代~近世』山川出版社〈世界歴史大系〉、2008年。
- 杉田英明 著「天路歴程物語の系譜 ―― イスラム世界とダンテ」、蓮實重彦; 山内昌之 編『地中海 - 終末論の誘惑』東京大学出版会、1996年。
- 杉田英明『浴場から見たイスラーム文化』山川出版社〈世界史リブレット〉、1999年。
- 関根謙司『アラブ文学史 - 西欧との相関』六興出版、1979年。
- アンドレア・チェッリ「翻訳における愛 : イスラーム=スペインが生んだアラビア語の恋愛論 『鳩の首飾り』の現代スペイン語訳」『翻訳の文化/文化の翻訳』第13巻、静岡大学人文社会科学部翻訳文化研究会、2018年3月、151-160頁、doi:10.14945/00024902、2020年8月8日閲覧。
- 前嶋信次『生活の世界歴史7 イスラムの蔭に』河出書房新社〈河出文庫〉、1991年。
- 前嶋信次『イスラムとヨーロッパ 前嶋信次著作集2』平凡社〈平凡社東洋文庫〉、2000年。
- マリア・ロサ・メノカル 著、足立孝 訳『寛容の文化 - ムスリム、ユダヤ人、キリスト教徒の中世スペイン』名古屋大学出版会、2005年。(原書 Menocal, María Rosa (2002), The Ornament of the World: How Muslims, Jews, and Christians Created a Culture of Tolerance in Medieval Spain)
関連文献
- T・J・ゴートン 著、谷口勇 訳『アラブとトルバドゥール―イブン・ザイドゥーンの比較文学的研究』芸立出版、1994年。
- 三好準之助「ハルヂャの叙情性とムワッシャハ」『イスパニカ』第18巻、1974年、69-85頁、2020年8月8日閲覧。
注釈
- ^ 修道女・作家のロスヴィータの言葉。彼女はコルドバについての情報をレセムンド司教から得ていた。レセムンドはウマイヤ朝の外交使節としてヨーロッパ各地を訪れており、『コルドバ歳時記』の著者でもある[5]。
- ^ 近い時代に書かれた宮廷の恋愛に関する文芸作品としては、紫式部の『源氏物語』がある[6]。
- ^ 繁栄をもたらした貿易は、ウマイヤ朝の危機も招いた。奴隷貿易でアンダルスに連れてこられたサカーリバの宦官や傭兵は、やがてカリフの後継問題にも介入し、ウマイヤ朝内紛の原因になった[11]。
- ^ キリスト教徒のアラビア語化も進んだ。9世紀の文人パウルス・アルヴァルスは、最近のキリスト教徒がアラビア語の詩歌や恋愛物語ばかりを読んでラテン語から離れてしまったと嘆いている[13]。
- ^ 12世紀以降、アンダルスのアラビア語文献をラテン語に翻訳する活動が盛んになり、北方ヨーロッパに医学・科学・哲学などを伝えた[14]。
- ^ ハティバは亜麻糸の産地とアルバイダ川の水質に恵まれて紙の製造に最適であり、12世紀にはハティバ産の紙はシャブティと呼ばれてイスラーム世界で最高級の紙になった[16]。
- ^ 著者が不遇の時代に書いた恋愛書という点で、スタンダールの『恋愛論』とも比較される[19]。
- ^ 恋愛論も数多く、バスラ出身の文人ジャーヒズ(776年頃-868年または869年)は『恋と女』という随筆を書いている。バグダード出身の歴史・地理学者マスウーディー(896年-956年)は『時代の諸情報』に古今の恋愛観を記録したといわれている[23]。バスラの秘密結社的な知識人サークルであるイフワーン・アッ・サファーは、『百科全書』の中で純正の愛について述べている[3]。
- ^ 恋愛詩においては、純愛によって病み衰えたり、叶わない恋によって正気を失う作品を謳ったウズラ族が有名である[25]。
- ^ ローマ式の公衆浴場はヨーロッパの北方では失われたが、イスラーム世界に採用された。偶像崇拝を禁じるイスラーム法学の観点では、人物を描いた壁画は批判された。これに対して医学的観点では浴場の壁画は健康にもよいとされ、題材には恋人、庭園、狩りなどがすすめられた[42]。
- ^ イブン・ハズムの属するザーヒル派は、類推(キヤース)、個人的見解(ラーイ)、合意(イジュマー)などによる妥協を認める学説に反対しており、イブン・ハズムは論敵に対して辛辣だった[56]。
- ^ 諸王国の君主は、権力の正統性を示すために学者、詩人、芸術家のパトロンとしてもふるまった[59]。
- ^ イブン・ハズムがウマイヤ朝への忠誠を誓い続けたのに対して、イブン・ナグレーラはタイファのグラナダ王国で働き、両者は激しい論争もしている[60]。
- ^ イブヌル・アラビーはスーフィズムの思想家でもあり、その詩もスーフィーの神的愛(maħabba,ħubb)がテーマになっている[64]。
- ^ ミゲル・アシン・パラシオスは、『昇天の書』に書かれているムハンマドの昇天伝説がダンテの作品に影響を与えているとして論議を呼んだ[65]。
- ^ ヴェルナーが買い集めた古書には、オスマン帝国の文人キャーティプ・チェレビーの蔵書も含まれていた[68]。
- ^ 1933年にロシア語訳、1941年にドイツ語訳、1949年にフランス語訳とイタリア語訳、1952年にスペイン語訳、1953年に新たな英語訳が出版された。スペイン語版ではホセ・オルテガ・イ・ガセットが序文を書いている[69]。
出典
- ^ 関根 1979, p. 219.
- ^ 前嶋 2000, pp. 180–181.
- ^ a b 関根 1979, pp. 218–219.
- ^ メノカル 2005, pp. 117–119.
- ^ メノカル 2005, pp. 30–31.
- ^ チェッリ 2018, p. 153.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 352–353.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 342, 357.
- ^ a b c 前嶋 1991, p. 330.
- ^ a b 関根 1979, pp. 219–220.
- ^ 佐藤 2008, pp. 90.
- ^ 佐藤 2008, pp. 90, 93.
- ^ メノカル 2005, pp. 64–65.
- ^ メノカル 2005, pp. 202–206.
- ^ メノカル 2005, pp. 30–32.
- ^ カーランスキー 2016, p. 108.
- ^ カーランスキー 2016, pp. 108–111.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 101, 342.
- ^ 関根 1979, pp. 218–220.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 57–58.
- ^ 前嶋 1991, pp. 324–330.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 3, 203.
- ^ 前嶋 1991, pp. 315–316.
- ^ 関根 1979, pp. 199–205.
- ^ 岡﨑 2014, pp. 19–20.
- ^ a b 前嶋 2000, pp. 177–180.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 19–20.
- ^ 前嶋 2000, pp. 178–180.
- ^ 関根 1979, pp. 134–136.
- ^ a b イブン・ハズム 1978, p. 70.
- ^ a b c d e f イブン・ハズム 1978, pp. 5–7.
- ^ 前嶋 1991, p. 353.
- ^ チェッリ 2018, p. 152.
- ^ a b イブン・ハズム 1978, p. 4.
- ^ イブン・ハズム 1978, p. 8-12.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 264–265.
- ^ 関根 1979, pp. 204–205.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 41–42, 81–82, 255–256, 274–276.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 296–297.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 60–61.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 65, 70.
- ^ 杉田 1999, pp. 43–46.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 37–38.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 249, 342–343.
- ^ メノカル 2005, pp. 119–120.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 14, 32, 112.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 13–14, 63.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 114, 149.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 145–147, 358–359.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 9, 54, 55.
- ^ イブン・ハズム 1978, p. 9.
- ^ a b イブン・ハズム 1978, p. 212.
- ^ イブン・ハズム 1978, p. 77.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 43–44.
- ^ 狩野 2020, pp. 15–16.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 344–350.
- ^ 前嶋 1991, p. 331.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 333, 340.
- ^ 大高ほか 2018, p. 108.
- ^ 鎌田 2006, p. 63.
- ^ メノカル 2005, pp. 107–110.
- ^ 関根 1979, pp. 137–138.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 122, 138.
- ^ 岡﨑 2019, pp. 386–388.
- ^ 前嶋 2000, pp. 174–176.
- ^ 杉田 1996, pp. 128–130.
- ^ 前嶋 2000, pp. 175–176.
- ^ イブン・ハズム 1978, p. 338.
- ^ a b チェッリ 2018, pp. 153–158.
- ^ イブン・ハズム 1978, pp. 338–340.
- ^ イブン・ハズム 1978, p. 340.
- 鳩の頸飾りのページへのリンク