長嶋清幸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 06:04 UTC 版)
選手としての特徴・人物
抜群の勝負強さとパンチ力が武器の打者[15]。
日本プロ野球史上初めて背番号0をつけた選手である[注 2]。入団時の背番号は66だったが小さな背番号を望んでいたところ、1982年のナショナルリーグ首位打者、アル・オリバーが背番号0をつけていることを知り、0番着用を古葉竹識に相談したのがきっかけであった。広島の1983年のキャッチフレーズは「ゼロからの出発」であり、長嶋の背番号0がより一層注目を受けることになった。以後も中日・ロッテ・阪神の4球団に在籍して、背番号0をつけなかったのは中日移籍初年度とロッテでの各1年だけである[16]。
愛称はずんぐりした体形とパンチ力のある打撃から「豆タンク」を略した「豆(マメ)」[15]。現役の長嶋を象徴するシーンとして広島時代の1988年9月9日の対中日戦が挙げられる。長冨浩志の度重なるブラッシュボールに仁村徹が激高して乱闘が始まった[17]。このとき長嶋は中日・岩本好広[注 4]の股間に飛び蹴りを決め、プロ野球珍プレー好プレーでナレーションのみのもんたに「決まって金的~」とナレーションされるシーンがたびたび放送された。当時広島のコーチだった伊勢孝夫は「岩本は後ろから蹴ったり卑怯なことをしていたから今度乱闘になったら岩本を潰そうというのが合言葉になっていた。長嶋清幸はセンターからは走ってきて、2発、3発飛び蹴りしていた。あいつも相当なやんちゃ坊主やで」[18]と述べている。また、その時岩本に駆け寄ったのが元広島でその時中日の一軍コーチだった池田英俊[注 5]である。また、岩本とは中日移籍後にコーチと選手として同僚となった。
不満会見騒動
2004年から中日において、落合博満のヘッド格としてチームを支えていたが、2006年10月28日に球団から3年契約の満了を持って更新しないことを通告された。このため球団内で緊急で記者会見を開き、「(落合監督と親しい)高代さんと、(自分が)仲悪いのは皆、知ってると思う」、「仲良しチームにしないって言っていたが、今はどうなの?公私混同もはなはだしい」と落合と野手総合チーフコーチの高代延博を批判した。この「不満会見」は球団側が許可しており、また落合は長嶋に解雇の理由を「口が裂けても言えない。墓まで持っていく」と告げたとのことである。さらに後日、この年の9月の試合中に監督室にあった落合のバッグが盗難にあい試合後落合が警察から事情聴取される事件があったことから、東京スポーツの記者にこの件と絡めた発言をしたところ、翌日の紙面に「俺は落合監督のバッグ 絶対盗んでいない」と大きく報道される事態となった[19][20][21][注 6]。同年12月8日より、日刊ゲンダイにて「さらば落合中日」と題した長嶋本人による中日球団を批判するコラムを連載した。なお落合がゼネラル・マネージャーとして中日に復帰した2014年シーズンからは、再び一軍外野守備走塁兼打撃コーチとして復帰している。
注釈
- ^ 1980年代の新聞報道では姓の「長島」という表記もあった。
- ^ a b ただし、過去に支配下登録をされていなかった選手として、西沢道夫(名古屋軍)が練習生時代の1936年につけていたとする説[1]や、戦後初期のいずれもブルペン捕手扱いで登録されていた長岡久夫(読売ジャイアンツ)、太田義次(東急→急映フライヤーズ)が付けていた例もあるが、支配下登録され、公式戦で背番号0として出場したのは長嶋が第1号である。
- ^ a b c 攻撃時は一塁ベースコーチを担当。
- ^ 後に中日でコーチと選手の間柄になる。
- ^ 長嶋の広島時代は、横浜大洋ホエールズの投手コーチや中国放送(RCC)の野球解説者を務めていたため、一緒に広島に在籍した経験がない。
- ^ この際、部外者である阪神監督の岡田彰布が「絶対に身内。内部犯行や」と余計な発言をしている。
出典
- ^ 【背番号物語】広島「#0」プロ野球初の背番号を着けた長嶋清幸。「プレッシャーはありました」 週刊ベースボール 2021年3月11日
- ^ a b c d e f g h 澤宮優『ドラフト外』河出文庫、2013年、ISBN 9784309412603
- ^ a b 「我が道」古葉竹識、スポーツニッポン新聞社、2018年、57頁
- ^ プロ野球レジェンドが語るあの日、あのとき、産経新聞出版、P205、2015年
- ^ 注射3本打ってマウンドへ。山田久志が語る日本シリーズの裏側 ラジチューブ 2018年8月28日
- ^ 広島、2年ぶりV5 阿南野球 奇跡の逆転 セ・リーグ 西武と日本一決戦 中国新聞 2014年9月24日
- ^ 大阪日刊スポーツ・なにわWEB・阪神タイガース98陣容
- ^ 大阪日刊スポーツ・なにわWEB・阪神タイガース99陣容
- ^ “【長嶋清幸コラム】アマ指導、TV解説、迷いのあった俺に声をかけてきたのは…”. 東京スポーツ (2022年4月27日). 2022年4月27日閲覧。
- ^ “コーチ就任のお知らせ”. 千葉ロッテマリーンズ (2009年11月2日). 2021年12月12日閲覧。
- ^ 長嶋清幸2軍打撃コーチの退団について 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2013年10月20日
- ^ 【中日】佐伯、達川氏ら来季コーチ陣発表 日刊スポーツ 2013年10月22日
- ^ 中日 退任のコーチ陣があいさつ 森脇氏「森監督と一蓮托生」 近藤氏「責任を取らないと」 スポーツニッポン 2018年10月18日
- ^ 中日森繁和SDら5人退団 球団社長「契約満了で」 日刊スポーツ 2019年10月1日
- ^ a b “広島・鈴木誠の「たまたま打法」が開花した 懐かしい「たまたま男」長嶋清幸”. デイリースポーツ (2021年9月22日). 2021年9月24日閲覧。
- ^ 日本プロ野球 背番号物語 ベースボールマガジン社
- ^ 【乱闘】戦う男!闘将星野監督と長嶋清幸さんの深い絆 【高橋慶彦】【長嶋清幸」【カープ】【中日】 - YouTube
- ^ 伊勢孝夫著、野村IDの後継者 伊勢大明神の「しゃべくり野球学」双葉社、2018年、207頁
- ^ http://sorepena.sakura.ne.jp/_001/backnumber/s2009/img/others/nagashima_midashi.jpg
- ^ 【長嶋清幸コラム】怒りの退団会見につながった落合監督の「バッグ盗難事件」 東京スポーツ 2022年4月19日
- ^ 落合バッグ盗難事件と長嶋コーチ解雇の関係 現代ビジネス 2010年1月24日
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