金子修介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/26 16:36 UTC 版)
作風および評価など
映画スタッフ編成では、いわゆる「○○組」といった形ではなく、作品ごとにチームを組むスタイルのため、固定スタッフは多くないが、撮影監督の高間賢治とは10作品以上で、作曲家の大谷幸とも8作品で組んでいる。
少女アイドル好きで知られ、アイドル映画で起用されることも多いが、自身の企画においても若手女優のキャスティングに偏重している。
ロマンポルノ時代には山本奈津子・イヴ・水島裕子・かとうみゆき、一般映画では深津絵里・小沢なつき・中山美穂・宮沢りえ・斉藤由貴・織田裕二・佐伯日菜子、最近作でも優香・上戸彩・藤原竜也らを起用しており、その演出手腕にも定評がある[出典 4]。
オタク歴を公言している世代としては映画監督デビュー第1号である[注釈 1]。それもロマンポルノという特殊な分野においてアニメパロディを織り込んで注目を集め[注釈 2]、その後も『ゴジラvsモスラ』の監督立候補など、怪獣映画を作ることに関心を寄せ、『ウルトラQ』映画化の頓挫を経験した後、『ガメラ 大怪獣空中決戦』の成功で怪獣映画というジャンルに新風を吹き込んだ[15]。自らの嗜好と趣味を絶え間なくアピールし続けることにより、撮りたい映画を撮れる環境を作り上げていった努力の軌跡である。
怪獣映画の2大シリーズであるゴジラとガメラを両方とも撮った経験を持つ、最初の監督でもある。さらに、テレビドラマにおいては『ウルトラマンマックス』も演出しており、その劇中でソフトビニール人形を使った子供の遊びとして「ゴジラ対ガメラ」を意図的に構成してみせた[13]。このシーンは金子が直接東宝プロデューサーの富山省吾や角川映画に許可を得ており、権利関係から再放送やソフト化の際にはカットされている[13]。
物語を観客に信じさせるための強固な理屈作りを重視しており、原作ものでも原作にない設定を加えている[1]。怪獣映画では、観客は2体以上の怪獣を観たいと分析しているが、2体以上では理屈付けが難しく、ガメラやゴジラでは対戦相手に古代からの因縁を設けている[1]。
『ガメラ』の撮影では、自衛隊の全面協力を受けたことが『朝日新聞』と『読売新聞』に興味本位で取り上げられ、『しんぶん赤旗』同紙日曜版には自衛隊を賛美するものと同作の完成前から批判する読者投稿が掲載された[22]。しかし、自身は「日本の自衛のためには憲法九条の二項の戦力の保持は改正して軍隊として認めるべきだが、集団的自衛権を否定して軍事同盟も破棄すべき」とする持論を挙げており[23]、自衛隊のメディア戦略なども理解している。そして、映画の完成前から批判意見を載せた『しんぶん赤旗』に反論する自らの意見を掲載させている[24]。ただし、『ガメラ』の監督作品全3作とも戦闘機が撃墜されるシーンが自衛隊から協力をもらうために不採用となった件に関しては、後年の『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(以下『GMK』)で実在しない防衛軍を設定し、その戦闘機が住宅地へ墜落して火災が発生するシーンを映像化してみせた[25]。同作品については、日米安全保障条約が締結されておらず[1]戦争放棄のために兵器の所有を認めている世界観であるとしている[12]。
ガメラシリーズのころから自身でも特撮の演出も手掛けたいと希望し、『GMK』では自身で造型の打ち合わせや絵コンテの制作を行った後に特殊技術の神谷誠へ委ねるというスタイルをとった[3]。金子は、自身で怪獣に芝居をつけたいという想いもあったが、実際の現場を見て自身では細かい芝居をつけることはできなかっただろうと感じ、神谷を信頼して正解であったと述べている[3]。
脚本家の長谷川圭一は、かつて金子組で装飾スタッフを務めており、執筆した脚本を金子に読んでもらってアドバイスを受けるなどを経て、デビューに至った[5]。そのつながりから金子は、『GMK』で長谷川を脚本家として起用している[5]。
俳優との関係
津川雅彦には、CMを演出した縁から可愛がってもらったといい、金子作品には短いシーンでも出演することが多い[18]。津川は、金子について義理人情に厚く、笑顔が可愛いので惚れてしまったと語っていた[26]。
『GMK』で主演を務めた新山千春は、金子について「独特な雰囲気の方」と評しており、新山の役作りが金子の考えと違うものであっても頭ごなしに否定はせず、指示もわかりやすく伸び伸びと演技できたと語っている[26]。同作品に出演した小林正寛も金子からいろいろなことを教えてもらい愛情を感じたと述べ、葛山信吾は「非常にマイペースな方」と述懐している[26]。
1993年の作品『卒業旅行 ニホンから来ました』の撮影時、主演の織田裕二との間でトラブルが発生し、その顛末を公開直後の『シナリオ』誌に寄稿した[27]。同誌では、製作裏話とともに織田への批判を述べている。また、『卒業旅行』の撮影に関しては『ガメラ監督日記』の中で「本が3冊書けるぐらい」の経験をした、と綴っている[28]。
注釈
- ^ やはりSF、特撮、アニメ、アイドルなどのオタク趣味に強くこだわり、作品の多くにも反映させ続けているピンク映画監督に金子の2歳年少の渡邊元嗣がいるが、渡邊が『E.T.』にオマージュを捧げたデビュー作『女教師・淫らな放課後』が封切られたのは『濡れて打つ』と同年同月(1週間後)である。なお、螢雪次朗は両監督の作品に共通した常連俳優であり、金子と同年でやや早くデビューした滝田洋二郎のミステリ趣味濃厚な作品群のほとんどにも主演している。
- ^ 『みんなあげちゃう』ではウルトラの母を登場させている[13]。ガメラを登場させる案もあったが、大映から断られている[13]。
- ^ 月刊誌『GEN-SAKU!』vol.1 - 5(2011年4月22日 - 8月26日)で連載された作品。2014年にWEBドラマ化された。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n バトル・オブ・キングギドラ 2020, pp. 62–64, 「金子修介インタビュー」
- ^ a b c “Shusuke's Profile”. 金子修介 公式情報サイト. 2015年10月23日閲覧。
- ^ a b c d e f 東宝SF特撮映画シリーズSPECIAL EDITION 2001, pp. 10–11, 「[インタビュー] 金子修介」
- ^ “金子修介”. R.crew. 2024年2月19日閲覧。
- ^ a b c d ソノラマMOOK 2002, pp. 69–73, 「金子修介監督×大久保賢一(映画評論家)対談」
- ^ 金子修介 監督のワークショップ 松濤アクターズギムナジウム 2023年3月29日閲覧。
- ^ 押井守『すべての映画はアニメになる』徳間書店〈アニメージュ叢書〉、2004年、138 - 139頁。ISBN 4198618283。"アニメ雑誌『アニメージュ』掲載の 押井と金子の対談記事再録"。
- ^ 植草信和 編「対談 押井守 金子修介 ぼくたちの過去・現在・未来」『押井守全仕事 増補改訂版 「うる星やつら」から「アヴァロン」まで』キネマ旬報社〈キネ旬ムック〉、2001年1月31日、39頁。ISBN 4-87376-560-9。
- ^ “マドリード国際映画祭2022 外国語映画部門 最優秀監督、ベスト・コスチュームの2部門を受賞”. 映画『信虎』オフィシャルサイト (2022年7月25日). 2024年2月19日閲覧。
- ^ 金子修介「三大怪獣 地球最大の決戦 怪獣映画と革命家族」『別冊映画秘宝 東宝特撮総進撃』洋泉社、2009年、p24
- ^ 金子修介 1998, pp. 12–18.
- ^ a b c GMK超全集 2002, pp. 36–40, 「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃完全攻略 金子修介監督インタビュー」
- ^ a b c d e 宇宙船編集部 編「監督!監督!監督! 金子修介」『ウルトラマンマックス マックス!マックス!マックス!怪獣大画報』円谷プロダクション 監修、朝日ソノラマ〈ファンタスティックコレクション〉、2006年10月30日、52-53頁。ISBN 4257037350。
- ^ a b c d モスラ映画大全 2011, pp. 16–17, 文・金子修介「モスラへの思いを遂げる日」
- ^ a b c d 平成ガメラパーフェクション 2014, pp. 200–205, 「平成ガメラ スタッフインタビュー 金子修介」
- ^ 金子修介 1998, p. 8.
- ^ GMK超全集 2002, p. 2, 富山省吾「世紀を越えて「金子ゴジラ」は誕生した。」
- ^ a b c GMKコンプリーション 2022, pp. 73–75, 「金子修介インタビュー」
- ^ アイドル映画30年史 2003, pp. 181–182, 松井修「少女映画・満開の季節」.
- ^ アイドル映画30年史 2003, pp. 192–197, 馬買野宏 聞き手・構成「監督列伝90's 金子修介インタビュー」.
- ^ 武藤起一、森直人 編「80-90年代を代表する注目の作家たち(1) 14 金子修介」『〈日本製映画〉の読み方 1980-1999』フィルムアート社〈CINE LESSON 6〉、1999年7月2日、70-71頁。ISBN 4-8459-9995-1。
- ^ 金子修介 1998, p. 245.
- ^ 切通理作 2002, p. 440.
- ^ 金子修介 1998, p. 245 - 246.
- ^ 切通理作 2002, p. 439.
- ^ a b c ソノラマMOOK 2002, pp. 64–68, 「メインキャスト13名インタビュー」
- ^ 金子修介「『卒業旅行 ニホンから来ました』演出ノート――にっちもさっちもどうにもブルドッグ」『シナリオ』、日本シナリオ作家協会、1993年10月、[要ページ番号]。
- ^ “金子修介監督と撮影で大モメした織田裕二”. 日刊ゲンダイ (日刊現代). (2012年10月29日). オリジナルの2014年5月18日時点におけるアーカイブ。 2014年5月18日閲覧。
- ^ “映画『Ike Boys イケボーイズ』作品情報”. 映画.com. エイガ・ドット・コム (2024年2月14日). 2024年2月14日閲覧。
出典(リンク)
固有名詞の分類
- 金子修介のページへのリンク