草間秀雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/14 08:01 UTC 版)
経歴
福井県出身。1907年(明治40年)、東京帝国大学法科大学法律科を卒業し、大蔵属となり、高等文官試験に合格した[1]。税務監督官補、税務監督局事務官、税務監督官、ロシア駐箚財務官、大蔵書記官、主税局国税課長、造幣局長、朝鮮総督府財務局長・朝鮮銀行監理官・東洋拓殖監理官を歴任した[1]。
退官後の1931年(昭和6年)に長崎市長に選出され、1934年(昭和9年)まで務めた[1]。
市長退任後は、満洲採金株式会社副理事長、同理事長に就任したほか、1938年(昭和13年)からは日本産金振興株式会社副社長を務めた[3]。
参考文献
- 人事興信所編 『人事興信録 第10版(上)』 人事興信所、1934年。
- 人事興信所編 『人事興信録 第14版(上)』 人事興信所、1943年。
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