朝鮮総督府財務局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/20 06:23 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動朝鮮総督府財務局(ちょうせんそうとくふざいむきょく)は、朝鮮総督府に置かれた内部部局。
本項では、前身である朝鮮総督府度支部(たくしぶ)についても触れる。
沿革
1910年(明治43年)10月1日、韓国併合にともない朝鮮総督府が設置されると、度支部が置かれた。度支部には庶務課・税関工事課の2課および司税局・司計局の2局が置かれた。1915年(大正4年)3月31日、行政簡素化のために2局が廃止されて課となり、部長官が各課の事務を指揮することとなった。
1919年(大正8年)8月20日の朝鮮総督府官制改正(勅令第386号)により、度支部は財務局に改められた。
機構
1941年(昭和16年)9月1日現在。
- 財務局
- 税務課
- 土地調査課
- 司計課
- 理財課
- 管理課
- 税務官吏養成所
このほか、総督府所属官署として、税務監督局(税務署)、税関などが置かれた。
歴代局長
財務局長(度支部長官を含む)
氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
(朝鮮総督府)度支部長官 | ||
荒井賢太郎 | 1910年(明治43年)10月1日 - 1917年(大正6年)6月6日 | |
鈴木穆 | 1917年(大正6年)6月6日 - 1919年(大正8年)8月20日 | |
(朝鮮総督府)財務局長 | ||
河内山楽三 | 1919年(大正8年)8月20日 - 1922年(大正11年)7月3日 | |
和田一郎 | 1922年(大正11年)7月3日 - 1924年(大正13年)8月13日 | |
草間秀雄 | 1924年(大正13年)8月13日 - 1929年(昭和4年)11月8日 | |
林繁蔵 | 1929年(昭和4年)11月8日 - 1937年(昭和12年)10月30日 | |
水田直昌 | 1937年(昭和12年)10月30日 - | 日本統治下最後の局長 |
度支部司税局長
氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
鈴木穆 | 1910年(明治43年)10月1日 - 1915年(大正4年)3月31日 | |
鈴木穆 | 1915年(大正4年)3月31日 - 1915年(大正4年)4月1日[1] | 兼任[2] |
度支部司計局長
氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|
荒井賢太郎 | 1910年(明治43年)10月1日 - 1915年(大正4年)3月31日 | 度支部長官(兼任) |
脚注
参考文献
- 朝鮮総督府編『施政三十年史』(朝鮮総督府、1940年)
- 朝鮮総督府編『朝鮮事情 昭和十七年度版』(朝鮮総督府、1941年)
- 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』(東京大学出版会、1981年)
関連項目
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