茨城県の軍事遺跡一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/19 02:43 UTC 版)
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土浦市
- 霞ヶ浦海軍病院(現独立行政法人国立病院機構霞ヶ浦医療センター)
- 北砲台
- 土浦市右佅、土浦市第六中学校の裏山
- 1943年(昭和18年)頃に開設されたとみられ、深照燈の基本部分が現存している[1]。
阿見町
阿見村には、大正時代末期に大日本帝国海軍の霞ヶ浦海軍航空隊が設置された。また1940年(昭和15年)には同予科練習部が独立して土浦海軍航空隊が発足、終戦まで海軍飛行予科練習生(通称、予科練)の教育訓練の中心的役割を果たした[2][3]。
これら海軍関連施設は1945年8月の終戦までに、周辺一帯に
- 霞ヶ浦航空隊本部(現茨城大学農学部)[4]
- 飛行場
- 通信所
- 海軍気象学校
- 海軍酸素工場
- 第一海軍航空廠
- 第一海軍航空廠舟島倉庫
- 海軍射場
- 第一軍需工廠
- 掩体壕地区
- 海軍航空要員研究所
- 第10海軍航空隊司令部地下壕
- 第一海軍工廠工員養成所
- 横須賀海軍施設部
- 海軍軍需部霞ヶ浦支部本部地区
- 海軍軍需部霞ヶ浦支部燃料庫地区
- LZ 127 (飛行船)格納庫
など海軍関連施設が多数点在していた[3]。
これらに関連し、阿見町廻戸5丁目にある予科練平和記念館は予科練に関係する展示物のほか、1945年(昭和20年)に土浦海軍航空隊が30機のB-29の襲来により軍人、近隣住民300名の死者を出した大空襲関連の記録[5]、特攻関係の資料を展示している[6]。
また、霞ヶ浦海軍航空隊本部跡地に建設された茨城大学農学部の敷地内には方位盤、門柱および塀、軍旗掲揚塔、第一士官宿舎階段親柱などが現存している[4]。
その他、阿見町阿見、現在は民間の個人敷地内に1944年(昭和19年)以降に作られた有蓋掩体壕が現存する。阿見町指定文化財である[4]。
笠間市
- 筑波海軍航空隊記念館
- 筑波海軍航空隊跡地、笠間市旭町654、茨城県立こころの医療センター敷地内
- 同館は映画『永遠の0』のロケ地として使用されたことでも知られ、敷地内には航空隊関連の遺跡が多数残るほか、記念館二階には映画で使用されたロケセットの再現も展示されている[7]。
- なお、敷地および周辺施設が戦争遺跡として現存している場所は全国でも稀[8]。
- 地下要塞(地下戦闘指揮所)
- 筑波海軍航空隊跡地内に爆撃に備えて地下に掘られた地下戦闘指揮所が現存している[9]。
石岡市
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- ^ a b c d e f 戦跡マップ, p. 5.
- ^ 阿見町商工観光課. “『予科練』とは”. 阿見町. 2017年8月29日閲覧。
- ^ a b “「予科練」とは”. 予科平和練記念館. 2017年8月29日閲覧。
- ^ a b c d 戦跡マップ, p. 6.
- ^ “土浦市における戦災の状況(茨城県)”. 総務省. 2017年8月29日閲覧。
- ^ “フロアガイド”. 予科平和練記念館. 2017年8月29日閲覧。
- ^ “筑波海軍航空隊記念館(笠間市)”. 茨城県観光物産協会. 2017年8月29日閲覧。
- ^ a b c 戦跡マップ, p. 2.
- ^ “これが地下要塞だ!”. プロジェクト茨城. 2017年8月29日閲覧。
- ^ 文化振興課. “石岡海軍航空基地 (PDF)”. 石岡市教育委員会. 2017年8月29日閲覧。
- ^ a b 関東地方整備局 (2009年). “霞ヶ浦湖岸施設(元鹿島海軍航空跡) (PDF)”. 国土交通省. 2017年8月29日閲覧。
- ^ 伊藤 編(2008):16ページ
- ^ a b “水戸陸軍飛行場跡地見学”. いばらきコープ (2016年5月13日). 2017年8月30日閲覧。
- ^ “水戸対地射爆撃場返還の歴史”. ひたちなか市 (2014年7月31日). 2017年8月30日閲覧。
- ^ a b c d 戦跡マップ, p. 4.
- 1 茨城県の軍事遺跡一覧とは
- 2 茨城県の軍事遺跡一覧の概要
- 3 美浦村
- 4 水戸市
- 5 脚注
- 茨城県の軍事遺跡一覧のページへのリンク