笹木美典 笹木美典の概要

笹木美典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/24 05:15 UTC 版)

伊藤美典《旧名笹木美典》
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府
生年月日 (1982-05-05) 1982年5月5日(41歳)
血液型 A型
騎手情報
所属団体 ホッカイドウ競馬
所属厩舎 伊藤靖則厩舎
勝負服 黄、緑鋸歯形
初免許年 2002年
免許区分 平地競走
騎手引退日 2012年12月31日
通算勝利 1365戦24勝(地方)
2戦0勝(中央)
経歴
所属 2002年4月 - 林正夫厩舎(北海道)
2003年1月 - 中村光春厩舎(北海道)
2005年11月 - 清水日出男厩舎(北海道)
2007年7月 - 伊藤靖則厩舎(北海道)[1]
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来歴

2002年3月31日付で地方競馬騎手免許を取得し、林正夫厩舎所属でデビュー。同年4月10日、第1回門別競馬1日目第4競走(サラ系D2-3組50万円以下)にオースミオードリで初騎乗(12頭立て7番人気12着)。同年6月11日、第4回札幌競馬4日目第3競走(サラ系D1-4組100万円以下)をジーティーセネシオで優勝(10頭立て5番人気)し、初勝利。

2005年9月3日、第1回JRA札幌競馬7日目第10競走(石狩特別、サラ系3歳以上500万下)でトゥデイフォーユーに騎乗し、中央競馬初騎乗(14頭立て14番人気14着)。

2006年12月4日、1歳馬の馴致中に落馬、打撲を負った。招待されていたレディースジョッキーズシリーズへの出場も危ぶまれたが、強行出場。その後休養したが、復帰へ向けての調教騎乗中に再び落馬負傷[2]したため、結局約1年4か月休養[3]することになった。

2008年6月11日、第2回旭川競馬1日目第2競走(サラ系D3-2組)をマダムミツコで優勝(11頭立て2番人気)し、34戦目で復帰後初勝利[4]

2012年12月31日をもって、引退したことが発表された[5]

引退時の地方通算成績は1365戦24勝・2着43回・3着71回、勝率1.8%、連対率4.9%(ほか中央競馬で2戦0勝)。

騎手招待競走の成績

期間限定騎乗

過去2度にわたり高知競馬場期間限定騎乗を行った。高知での所属は別府真司厩舎[11][12]

  • 2008年11月28日から翌2009年1月31日までの予定で騎乗[11]。2009年1月3日第16回高知競馬3日目第4競走D10記者選抜戦をエイシンラブリーで優勝(7頭立て4番人気)し、短期騎乗開始後29戦目で初勝利を挙げた[13]。最終的には2月1日まで騎乗した[14]
  • 2009年12月4日から翌2010年1月31日までの予定で騎乗[12]。1月30日の最終騎乗までに1勝を挙げた。



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