真琴つばさ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/26 09:54 UTC 版)
略歴
中学・高校と実践女子学園ですごす。中学時代はバレーボールの選手だった。
1983年、第71期生として宝塚音楽学校に入学。実践女子大学に内部進学し、入学式にも出席したが翌日が宝塚合格発表だったため、大学を1日で中退し宝塚音楽学校に入学した。
1985年、宝塚歌劇団に入団。花組『愛あれば命は永遠に』で初舞台。
同年、花組に配属。当時の花組には同期の愛華をはじめ、1期下の香寿たつき・紫吹淳、2期下の匠ひびき・姿月あさとなど有力なスター候補がひしめき、後に本人自ら「暗黒時代だった」と語ったほどである。しかし1991年最後の『ヴェネチアの紋章』新人公演では、この公演で退団した大浦みずきの口添えにより、初めて主役に抜擢された。
1993年、『ル・グラン・モーヌ』で宝塚バウホール公演初主演を果たした後、月組に組替え。男役スターとしての地位を確立した。『風と共に去りぬ』のスカーレット、『ミー・アンド・マイガール』のジャッキーなど、1年あまりにわたって女役が続いた。
1997年、前任者・久世星佳の退団に伴い、『EL DORADO』で月組トップスターに就任。他組出身者のトップスターは1973年就任の大滝子以来24年ぶりだった。この時代は真琴を含め5組中4組のトップスターが同期生という時代だった(花組・愛華、月組・真琴、雪組・轟、星組・稔)。当初の相手役は風花舞。
1999年、風花の退団により、新たな相手役として檀れいを迎える。中国公演や『LUNA-月の伝言-』でのアドリブなどをこなし、『THE 夜もヒッパレ』など多数のテレビ番組に出演。2001年、『愛のソナタ/ESP!』大劇場公演(※日程の都合上東京公演が先で大劇場が後)にて退団。
在団中に、TAKARAZUKA1000days劇場、東京宝塚劇場と、二つの劇場のこけら落とし公演を務めた。
現在は歌手・女優として活躍する傍ら、バラエティ番組を中心にテレビ番組出演も続けている。
- ^ “亀梨和也主演『DREAM BOYS』製作発表会”. シアターガイド (2011年6月17日). 2016年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月21日閲覧。
- ^ “帝国劇場 DREAM BOYS”. 東宝 (2007年). 2007年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月21日閲覧。
- ^ “帝国劇場「DREAM BOYS」”. 東宝 (2011年). 2011年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月21日閲覧。
- ^ “五関晃一の成長ぶりに真琴つばさ感動「こんなに話す人じゃなかった」”. マイナビニュース (2022年1月20日). 2022年3月21日閲覧。
- ^ 『行先不明』公式@ikisaki_fumeiの2021年12月30日のツイート、2022年3月21日閲覧。
- ^ “宝塚元トップと元トップ娘役の舞台「8人の女たち」公開稽古、湖月わたる「思い切って演じたい」”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年8月26日) 2022年10月2日閲覧。
- ^ “真琴 つばさ|眠れない夜にあなたのそばにいたい|ビクターエンタテインメント”. 2021年3月7日閲覧。
- ^ “NHKアーカイブス NHKクロニクル / アートドラマ 美女と巨匠 「マルチェロ・マストロヤンニ」(2017年8月7日 放送)”. NHK 日本放送協会. 2022年11月18日閲覧。
- ^ “超特急、初主演映画「サイドライン」でチアに挑戦!劇中写真公開”. 音楽ナタリー (2015年6月25日). 2015年6月25日閲覧。
固有名詞の分類
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