死の都 死の都の概要

死の都

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 00:25 UTC 版)

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《死の都》(2015年 グラーツオペラ座)

作品は、ベルギー象徴主義の詩人ジョルジュ・ローデンバックが、自作の小説『死都ブリュージュ』(仏語Bruges-la-Morte)を改作した戯曲『幻影』に基づく[1]。本項目ではこの原作小説についても言及する。

経緯

《死の都》が1920年12月4日に初演された時点でコルンゴルトは23歳だったが、既に2つの1幕オペラ、《ヴィオランタ》と《ポリュクラテスの指環》を成功させ、新進オペラ作曲家としての名を広めていた。この2作が大成功に終わったために、《死の都》の初演権を巡ってドイツの劇場の間で熾烈な争いが繰り広げられた。

結局前例の無いことに、ケルンにおけるオットー・クレンペラー指揮による初演と、ハンブルクにおけるエゴン・ポラータ指揮による初演が同時に行われることとなった。

「喪失感の克服」という《死の都》のテーマは、第1次世界大戦で大きな痛手を負った当時の聴衆に共感をもって迎え入れられ、このオペラの人気に火をつけた。《死の都》は1920年代で最大のヒット作の一つとなり、初演から2年のうちにウィーンでは60回以上も上演され、ハンス・クナッパーツブッシュによるミュンヘン上演、ジョージ・セルによるベルリン上演などで隣国ドイツにも受け入れられ、さらに海を渡ったニューヨークメトロポリタン歌劇場においても数回の上演が行われた。

しかし、ナチス政権の台頭を迎えると、コルンゴルトがユダヤ系であることを理由に彼の作品は上演を禁じられ、コルンゴルト本人もアメリカへの亡命を余儀なくされる。その結果、彼自身やその作品もろともこのオペラの存在が忘れられていった。

第二次大戦中に映画音楽を作曲して糊口をしのいでいたコルンゴルトは、1949年のウィーンへの一時帰国の際にこのオペラの復活上演を試みるが失敗し[2]、死の二年前にあたる1955年にようやくミュンヘンでの蘇演を実現した。没後、コルンゴルト作品の再評価が進む中でこのオペラの注目も高まり、1975年ニューヨーク・シティ・オペラによる復活上演と、エーリヒ・ラインスドルフ指揮ミュンヘン放送管弦楽団による全曲盤発売などで、20世紀を代表するオペラという評価を確立した。

日本においては、まず1996年9月8日井上道義の指揮する京都市交響楽団京都コンサートホールにおいてコンサートオペラ形式(ホールオペラ形式)で初演。舞台初演は2014年3月8日沼尻竜典の指揮、栗山昌良の演出でびわ湖ホールにおいて行われた[3][4]

楽曲

コルンゴルトの楽曲は艶やかで美しく、どことなくリヒャルト・シュトラウスジャコモ・プッチーニの作曲様式を折衷したものとなっている。つまりシュトラウス風の巨大な管弦楽法を操る一方で、本作には華やかで覚えやすい「プッチーニ風」の甘い旋律がふんだんに盛り込まれているのである(ちなみに両者ともコルンゴルトの少年時代から青年時代にかけての支持者であった)。

本作の中で最も有名なアリアは、「マリエッタの唄」という俗称で知られる「私に残された幸せは "Glück, das mir verblieb" 」と、「ピエロの唄」と呼ばれる「私の憧れ、私の幻はよみがえる“Mein sehnen, mein wähnen”」の二つである。「マリエッタの唄」は、オペラではソプラノとテノールのデュエットとして作曲されているが、しばしば演奏会や録音では、ソプラノ独唱で歌われる。一方の「ピエロの唄」は、バリトン独唱のために作曲されている。

全体として楽曲はつねに質が高く、水準においてはリヒャルト・シュトラウスの楽劇と肩を並べている。本作が顧みられていない現状の理由は二つある。一つはナチス時代にコルンゴルトの作品が葬り去られてから、なかなか名誉回復が進んでいないこと。もうひとつは、主役の二人であるパウルとマリエッタに、極めて高い技術が要求されていることである。

パウル役に挑もうとするテノール歌手は、2時間あまりほぼずっと舞台に留まり、ワーグナーの楽劇のような、巨大なオーケストラを圧倒しながら歌い続けるだけの体力が要求される。しかし、《死の都》のパウルはそれに加えて高音域を要求されるため、配役が非常に難しい。難度の高いマリエッタ役のテッシトゥーラは、リヒャルト・シュトラウスの楽劇《影のない女》の王妃役を歌いこなすようなソプラノでなければ、おそらく乗り切ることはできないであろう。


  1. ^ a b 中村伸子. “コルンゴルト連載コラム第3回 ローデンバックの小説『死都ブルージュ』”. 新国立劇場 2013/2014シーズンオペラ「死の都」特設サイト. 2014年4月13日閲覧。
  2. ^ 中村伸子. “コルンゴルト連載コラム第10回 「忘れられた」コルンゴルトと再評価”. 新国立劇場 2013/2014シーズンオペラ「死の都」特設サイト. 2014年4月13日閲覧。
  3. ^ 20世紀の傑作オペラ「死の都」の日本初演 びわ湖ホールと新国立劇場が激突”. 日本経済新聞 (2014年2月10日). 2014年4月13日閲覧。
  4. ^ 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
  5. ^ a b 中村伸子. “コルンゴルト連載コラム第4回 小説『死都ブルージュ』からオペラ《死の都》へ”. 新国立劇場 2013/2014シーズンオペラ「死の都」特設サイト. 2014年4月13日閲覧。


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