武内宿禰 系譜

武内宿禰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 06:05 UTC 版)

系譜

'武内宿禰'関係系図
表記は『日本書紀』を第一とし、『古事記』を併記。

8 孝元天皇
 
彦太忍信命
(比古布都押之信命)
 
屋主忍男武雄心命
(古事記なし)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
武内宿禰
(建内宿禰)
 
羽田矢代宿禰
(波多八代宿禰)
 → [波多氏
 
 
 
 
 
 
 
許勢小柄宿禰
(日本書紀なし)
 → [巨勢氏
 
 
 
甘美内宿禰
(味師内宿禰)
 
 
石川宿禰
(蘇賀石河宿禰)
 → [蘇我氏
 
 
 
 
平群木菟宿禰
(平群都久宿禰)
 → [平群氏
 
 
 
紀角宿禰
(木角宿禰)
 → [紀氏
 
 
 
久米能摩伊刀比売
(日本書紀なし)
 
 
 
怒能伊呂比売
(日本書紀なし)
 
 
 
葛城襲津彦
(葛城長江曾都毘古)
 → [葛城氏
 
 
 
若子宿禰
(日本書紀なし)
 

日本書紀景行天皇[原 1]では、屋主忍男武雄心命と、菟道彦(紀直遠祖)の女の影媛との間に生まれたとする[2]孝元天皇[原 2]では、孝元天皇(第8代)皇子彦太忍信命を武内宿禰の祖父とすることから、武内宿禰は孝元天皇三世孫にあたる。なお、応神天皇[原 3]では弟(母は不明)として甘美内宿禰の名が見える。

古事記[原 4]では、孝元天皇皇子の比古布都押之信命(彦太忍信命)と、宇豆比古(木国造)の妹の山下影日売との間に生まれたのが建内宿禰(武内宿禰)であるとし、孝元天皇皇孫にあてる[2]。同書においては、異母兄弟(長幼不詳)として味師内宿禰(甘美内宿禰)の名が見える。

子に関して、『日本書紀』[原 5]では平群木菟宿禰のみ親子関係が明示されている。一方『古事記』では、次の7男2女と後裔27氏を掲載する[2](括弧内は日本書紀の名称で、日本書紀にて記述がない場合はなしと表示)。

  • 波多八代宿禰(はたのやしろのすくね、羽田矢代宿禰) - 波多臣・林臣・波美臣・星川臣・淡海臣・長谷部君の祖。
  • 許勢小柄宿禰(こせのおからのすくね、なし) - 許勢臣(巨勢臣)・雀部臣・軽部臣の祖。
  • 蘇賀石河宿禰(そがのいしかわのすくね、石川宿禰) - 蘇我臣・川辺臣・田中臣・高向臣・小治田臣・桜井臣・岸田臣の祖。
  • 平群都久宿禰(へぐりのつくのすくね、平群木菟宿禰) - 平群臣・佐和良臣・馬御樴連の祖。
  • 木角宿禰(きのつののすくね、紀角宿禰) - 木臣(紀臣)・都奴臣・坂本臣の祖。
  • 久米能摩伊刀比売(くめのまいとひめ、なし)
  • 怒能伊呂比売(ののいろひめ、なし)
  • 葛城長江曾都毘古(かずらきのながえのそつびこ、葛城襲津彦) - 玉手臣・的臣・生江臣・阿芸那臣の祖。
  • 若子宿禰(わくごのすくね、なし) - 江野財臣の祖。

なお武内宿禰の系譜に関しては、武内宿禰が後世(7世紀後半頃か)に創出された人物と見られることや、稲荷山古墳出土鉄剣によれば人物称号は「ヒコ → スクネ → ワケ」と変遷するべきで襲津彦の位置が不自然であることから、原系譜では武内宿禰の位置には襲津彦があったとする説がある[5]


注釈

  1. ^ a b 生年の景行天皇14年は、『日本書紀』成務天皇3年正月己卯(7日)条に成務天皇と同日の生まれと記載されることによる。
  2. ^ 読みに関しては、「タケシ(猛し)」はク活用であるため、「タケウチ」としか読めないとする指摘がある。なお、弟の甘美内宿禰(うましうちのすくね)の「ウマシ」はク活用・シク活用の両用があるため、「ウマシウチ」と読みうる (『新編日本古典文学全集 1 古事記』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、p. 173)。
  3. ^ 和歌山市松原では、武内宿禰の産湯に使ったという「武内宿禰誕生井」が伝わる(武内宿禰誕生井(和歌山県)より)。
  4. ^ この伝説が、後世の幸若舞百合若大臣』に変化したとする説が挙げられている(金関丈夫「百合若大臣物語」(『朝日新聞』(西部版)、昭和28年10月1日)、「中国の百合若」(『九州文学』昭和29年1月号)など)。

出典

  1. ^ a b c 武内宿禰(国史).
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 武内宿禰(古代氏族) & 2010年.
  3. ^ 『新編日本古典文学全集』の「古事記」および「日本書紀」。
  4. ^ 『新編日本古典文学全集 2 日本書紀 (1)』小学館、2002年(ジャパンナレッジ版)、p. 343。
  5. ^ 小野里了一 & 2015年.
  6. ^ 屋主忍男武雄心命(古代氏族) & 2010年.
  7. ^ 宝賀寿男 『因幡国風土記』逸文<ref group="原">『武内伝』所引『因幡国風土記』逸文「武内宿禰」。 - 武田祐吉編『風土記』(岩波書店、1937年、国立国会図書館デジタルコレクション)223コマ参照。
  8. ^ 秋本吉郎校注『風土記』(日本古典文学大系)、岩波書店、昭和33年。
  9. ^ 『国史大系 第9巻』所収『公卿補任』前編(国立国会図書館デジタルコレクション)9コマ参照)。
  10. ^ 『国史大系 第17巻』所収『水鏡』(国立国会図書館デジタルコレクション)195コマ参照)。
  11. ^ a b 『新訂増補国史大系 第12巻』所収『帝王編年記』 吉川弘文館、p. 75。
  12. ^ a b c d 武内宿禰(古代史) & 2006年.
  13. ^ 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ、2012年10月13日更新版)。
  14. ^ 「宮山古墳」『日本歴史地名体系 30 奈良県の地名』 平凡社、1981年。
  15. ^ 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年)p. 218。
  16. ^ 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年)p. 220。
  17. ^ 古賀寿 「高良大社」『国史大辞典』 吉川弘文館。

原典

  1. ^ a b 『日本書紀』景行天皇3年2月庚寅朔(1日)条。
  2. ^ 『日本書紀』孝元天皇7年2月丁卯(2日)条。
  3. ^ 『日本書紀』応神天皇9年4月条。
  4. ^ 『古事記』孝元天皇段。
  5. ^ 『日本書紀』仁徳天皇元年正月己卯(3日)条。
  6. ^ 『日本書紀』成務天皇3年正月己卯(7日)条。
  7. ^ 『日本書紀』允恭天皇5年7月己丑(14日)条。


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