東武デハ5形電車 グループ別詳細

東武デハ5形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/04 07:59 UTC 版)

グループ別詳細

本系列は前述のように用途別および製造年代別に仕様が異なり、「前期普通車型」「前期合造車型」「後期普通車型」「後期合造車型」の4つのグループに大別される[4][6]。以下、グループごとに詳細を述べる。

前期普通車型

  • デハ4形 (17 - 18・21 - 36)
  • クハ3形 (9・10)

1927年(昭和2年)にデハ18両・クハ2両の計20両が新製された、昭和2年 - 4年系において最初に落成したグループである。

全車とも3扉車体の両運転台車で[注釈 3]、外観は大正15年系ホハ11形(デハ3形)と類似しているが、車体長の相違に起因して各部吹き寄せ寸法が異なるほか、前面窓上部の行先表示窓が廃止された点が主な相違点である。側面窓配置は1D7D7D1(D:客用扉)、乗務員扉は設置されていない。車内はセミクロスシート仕様である。最初期に落成したデハ17・18ならびにクハ9・10の4両は両側妻面とも貫通構造であったが、以降の16両は正運転室側妻面が非貫通構造に変更され[注釈 4]、同設計は以降の本系列における標準仕様として踏襲された。なお、デハ19・20の車両番号(車番)は大正15年系ホハ11形のうち、遅れて電動車化が実施された2両に付番されたことから、デハ18の次に増備された車両にはデハ21の車番が付与された。

デハ4形は1930年(昭和5年)にデハ35・36を除いて全車とも客室の一部を荷物室に改造し、車番はそのままにデハニ4形と改称された。改造に際しては正運転室側の側窓2枚分までの客室スペースを荷物室に転用したもので、車体に手は加えられず、扉の拡幅等は行われていない。なお、デハニ17・18は翌1931年(昭和6年)に荷物室を撤去して再びデハ4形17・18に戻り、デハニ23は1936年(昭和11年)に荷物室を郵便室に改装してデハユ2形と車番はそのままに改称された。

クハ3形は1934年(昭和9年)と1936年(昭和11年)の二度にわたって電動車化改造が実施された。これに先立つ1932年(昭和7年)に行われた電動車化改造から国産主要機器(日立製作所製)が採用されており、クハ3形の電動車化改造においても主制御器は電動カム軸式のMCH-200Dが、主電動機はHS-266(端子電圧750V時定格出力110kW/同定格回転数1,000rpm)がそれぞれ採用された。改造後はデハ8形93・94と改称・改番されている。

その後、戦災によってデハニ26・デハ35が焼失し、戦後間もなくデハ36が事故で車体を焼損したが、後者については復旧工事が施工され、その際電装品が前述クハ3形の電動車化に際して採用されたものと同一の機器に換装された。戦災焼失した2両については、戦後に同2両の復旧名義でクハ430形436・437が新製されている。また、デハニ29は事故で正運転室側前面を破損し、復旧に際して乗務員扉が新設された。

これら18両が大改番の対象となり、電装品および車内設備の相違によりモハ3200形モハニ3270形モハ5400形モハ5430形の4形式に区分された。

デハ4形・クハ3形 改番一覧
形式 車番 荷物合造車化 荷物室撤去 電動車化 郵便合造車化 大改番
デハ4形 17・18 デハニ4形 17・18 デハ4形17・18 モハ3200・3201
21・22 21・22 モハニ3270 - 3274
23 23 デハユ2形23
24・25 24・25
26 26 (クハ436へ車籍継承)
27 - 34 27 - 34 モハニ3275 - 3282
35 (クハ437へ車籍継承)
36 モハ5430
クハ3形 9 デハ8形94 モハ5401
10 デハ8形93 モハ5400

前期合造車型

  • クハニ1形 (1 - 6)
  • クハユ1形 (1 - 4)

1927年(昭和2年)にクハニ6両・クハユ4両の計10両が新製された。全車とも副運転室が設置されていない片運転台構造であり、前面は非貫通構造、運転室には乗務員扉が設けられている。本グループは普通車型グループから改造された荷物・郵便合造車とは異なり、落成当初より大きな荷物室と積卸専用の広幅側面引扉を備えた本格的な合造車として設計され、側面窓配置は両形式ともd1B4D7D1(d:乗務員扉、D:客用扉、B:荷物用扉)である。車内は普通車型グループと同様にセミクロスシート仕様である。

クハニ5・6は1929年(昭和4年)に荷物室を郵便輸送向けに改装し、車番はそのままにクハユ1形5・6(クハユ6は初代)と改称・編入された。さらにクハユ6(初代)は1932年(昭和7年)に電動車化ならびに郵便室の荷物室化改造を実施した。

電動車化に際しては日立製作所製の電装品が採用され、制御器は日立製作所製PR200型複式制御器、電動機は日立製作所製直流直巻補極付電動機(出力110kW、電圧750V)が採用された。歯車比は21対62である。このほか、従来の連結面側妻面に副運転室を新設して両運転台化改造が実施され、改造後の同車はデハニ1形1と改称・改番された。

日立製作所製の電装品は、同時に行われた後記クハニ3形・クハニ4形の電装化(デハニ1形化)および2年後の1934年(昭和9年)から行われた前記クハ3形の電装化でも採用されたほか、その後製造された東武デハ10系電車でも引き続き採用された。

1936年(昭和11年)にデハニ1は混雑対策として荷物室を撤去し、デハ8形デハ87と改番・編入された。普通車化に際しては荷物室を存置したまま同スペースにロングシートを新設し、荷物専用扉を締切扱いとした上で客室化を実施したことから、合造車当時と比較して外観上の変化はなかった。

本グループにおいてはクハニ1・クハユ3(初代)が戦災焼失し、前者は戦後復旧名義でクハ430形430が新製され、後者は1947年(昭和22年)に汽車製造において焼損車体をそのまま修繕する形、いわゆる「叩き直し」と称する修繕方法によって復旧工事が施工された。復旧に際しては荷物室が撤去され、乗務員扉を新設して側面窓配置がd1D5D7D1と変化した。なお、復旧後のクハユ3(初代)は同時に復旧工事を施工された後期合造車型デハ8形90(初代)と車番を交換する形でデハ90(2代)と改称・改番されたが[注釈 5]、現車は動力を持たない制御車として竣功している。これら9両が大改番の対象となって、クハユ290形クハ420形モハニ5470形の3形式に区分された。

クハニ1形・クハユ1形 改番一覧
形式 車番 郵便合造車化 電動車化 郵便合造車化 荷物室撤去 戦災復旧 大改番
クハニ1形 1 (クハ430へ車籍継承)
2・3 クハユ295・296
4 クハユ1形6 (II) クハユ294
5 クハユ1形5 デハ8形87 クハユ293
6 クハユ1形6 (I) デハニ1形1 モハニ5470
クハユ1形 1・2 クハユ290・291
3 (I) デハ8形90 (II) クハ422
4 クハユ293

後期普通車型

  • デハ5形 (37 - 80)
  • デハ6形 (81 - 86)
  • クハニ2形 (7 - 31)

1928年(昭和3年)から1929年(昭和4年)にかけてデハ50両・クハニ25両の計75両が新製された、昭和2年 - 4年系の中核を形成するグループである。

本グループから客用扉を片側2箇所備える2扉車体に設計変更され、側面窓配置は片運転台仕様のデハ5形がd2D10D3、両運転台仕様のデハ6形がd2D10D2d、荷物合造車のクハニ2形がd2D10D2B[15]となった。妻面形状は前期普通車型デハ4形に準じ、正運転室側が非貫通構造、副運転室側(連結面側)が貫通構造となっているほか、全車とも乗務員扉が設置されている。車内はデハ・クハニともロングシート仕様に変更された。なお、デハ6形は運転台が正運転室側・副運転室側とも全室式構造となっており、トイレは設置されていない。また、クハニ2形は荷物室が連結面に設けられており、連結面寄りの側窓2枚分のスペースが荷物室に充てられ、荷物用扉は車端部に設けられた[15]。そのため、トイレが連結面ではなく後位側客用扉の直後に設置された点が特徴である。

デハ5形は前述の通り当初片運転台仕様で落成し、連結面側にはトイレを有するのみであったが、1931年(昭和6年)から全車とも片隅式の副運転室を新設して両運転台仕様に変更され、同時に車番はそのままにデハ7形と改称された。両運転台化改造に際しては副運転室側にも乗務員扉が新設されたが、トイレ設備の都合から副運転室側の乗務員扉は片側にのみ設置されており、デハ6形との外観上の相違点となった。

デハ7形40は1933年(昭和8年)に火災により車体を焼損した。復旧に際しては副運転室側妻面の非貫通構造化ならびに運転台の全室式構造化の上、客用扉部分を拡幅して荷物電車(荷電)化改造が実施され、デニ1形1と改称・改番された。また、同時に台車を含めた主要機器を大正13年系デハ1形2が電装解除された際の発生品に換装し、手動加速制御(HL制御)車となったことから、本系列他車との併結・混用は不可能となった。

クハニ28 - 31は1938年(昭和13年)に荷物室およびトイレを撤去の上、電動車化・両運転台化改造を施工しデハ105形105 - 108と改称・改番された。改造に際しては新設運転台(副運転室)側にも乗務員扉が設置されたため、外観上はデハ6形とほぼ同一となったものの、副運転室側の運転台が左側に設けられた点が異なる。電装品については他の電動車化改造車と同様に日立製のものが採用されたが、主電動機は大正14年系デハ101形と同一のHS-254(端子電圧750V時定格出力75kW)を搭載した。

なお、クハニ11は1939年(昭和14年)に同車の名義を流用してクハ12形1107が新製され、車籍は同車へ継承された[注釈 6]

本グループにおいてはデハ7形56・60が戦災焼失し、デハ6形85が機銃掃射によって車体を損傷したが、被害が比較的軽微であったデハ85のみ復旧され、デハ56・60については戦後同2両の復旧名義でクハ430形431・432が新製された。デハ85は汽車製造において復旧工事が施工されたが、同時に主要機器が前期普通車型デハ8形と同一の電装品に換装された。その他、時期は不詳ながら、デハ7形39・51・79の3両に対しても同様の機器換装が実施された。

大改番に際しては、前述のクハニ11および戦災焼失した2両を除く72両が対象となり、モハ3210形モハ3250形モハ5420形クハニ270形モハ1400形モニ1170形の6形式に区分された。

デハ5形(デハ7形)・デハ6形・クハニ2形 改番一覧
形式 車番 火災焼損復旧 電動車化 大改番
デハ5形
(デハ7形)
37・38 モハ3210・3211
39 モハ5420
40 デニ1形1 モニ1170
41 - 50 モハ3212 - 3221
51 モハ5421
52 - 55 モハ3222 - 3225
56 (クハ431へ車籍継承)
57 - 59 モハ3226 - 3228
60 (クハ432へ車籍継承)
61 - 78 モハ3229 - 3246
79 モハ5422
80 モハ3247
デハ6形 81 - 83 モハ3252 - 3254
84 モハ3250
85 モハ5423
86 モハ3251
クハニ2形 7 - 10 クハニ270 - 273
11
12 - 16 クハニ274 - 278
19 - 27 クハニ279 - 287
17・18 クハニ288・289
28 - 31 デハ105形105 - 108 モハ1402 - 1405

後期合造車型

後期合造車型クハユ2形5
(落成当時・日車カタログ写真)
  • クハユ2形 (5・6)
  • クハユ3形 (7 - 10)
  • クハニ4形 (32 - 34)

1928年(昭和3年)にクハユ6両、1929年(昭和4年)にクハニ3両の計9両が新製された。

同時期に増備された後期普通車型グループにおいては、2扉構造化を始めとした車体設計の見直しが実施されていたものの、本グループは客荷合造構造であるため前期合造車型グループの車体構造を概ね踏襲したものとなっている。ただし、本グループにおいては荷物室面積の見直しが実施され、前期合造車型グループの10.01平方メートルに対して9.88平方メートルとわずかに縮小されて、側面窓配置もdB5D7D1と変更された。全車とも片運転台仕様で落成し、連結面側車端部にはトイレが設置され、車内はセミクロスシート仕様である。

クハユ2形5・6は落成翌年の1929年(昭和4年)に荷物室を一般荷物輸送向けに改造され、車番はそのままにクハニ3形5・6と改称された。また、1932年(昭和7年)にはクハニ3形5・6、クハニ4形32 - 34ならびにクハユ3形7(初代)が電動車化ならびに両運転台化改造を施工された。

電装品についてはデハユ1は従来から採用されていたイングリッシュ・エレクトリック製の物が採用され、制御器はカムシャフトコントロールマルチプルユニット式を電動機は直流直巻補極付電動機(出力97kW、電圧750V)が搭載された。歯車比は21対59である。デハニ2 - 6については前期合造車型クハユ6(初代)のデハニ1形化改造と同様に日立製作所製の電装品が採用された。

改造後は改称・改番が行われ、クハニ5・6、クハニ32 - 34がデハニ1形2 - 6、クハユ7(初代)がデハユ1形1となった。また、クハユ7(初代)の電動車化に伴ってクハユ3形10がクハユ7(2代)と改番され欠番を埋めている。

1934年(昭和9年)には混雑対策としてデハニ2 - 6の荷物室を撤去して客室スペース化し、同4両はデハ8形88 - 92(デハ90は初代)と改称・改番された。普通車化に際しては荷物室を存置したまま同スペースにロングシートを新設し、荷物専用扉を締切扱いとした上で客室化を実施するという、前期合造車型デハニ1と同様の改造が施工された。

本グループにおいてはデハ90(初代)が戦災で被災し、1947年(昭和22年)に汽車製造において焼損車体をそのまま修繕する「叩き直し」と称する修繕方法によって復旧工事が施工された。復旧に際しては車体外観には変化はなかったものの、荷物室面積が19.13平方メートルと拡大され、同時に副運転室とトイレが撤去されて片運転台構造化された。なお、復旧後のデハ90は同時に復旧工事を施工された前期合造車型クハユ1形3(初代)と車番を交換する形でクハユ3(2代)と改称・改番され[注釈 5]、現車は動力を持たない制御車として竣功している。

大改番に際しては本グループ全9両が対象となって、クハユ290形クハユ490形モハニ5470形モハユ3290形の4形式に区分された。

クハユ2形・クハユ3形・クハニ4形 改番一覧
形式 車番 荷物合造車化 電動車化 改番 荷物室撤去 戦災復旧 大改番
クハユ2形 5・6 クハニ3形5・6 デハニ1形2・3 デハ8形88・89 モハニ5471・5472
クハユ3形 7 (I) デハユ1形1 モハユ3290
8・9 クハユ298・299
10 クハユ7 (II) クハユ297
クハニ4形 32 デハニ1形4 デハ8形90 (I) クハユ1形3 (II) クハユ490
33・34 デハニ1形5・6 デハ8形91・92 モハニ5473・5474

注釈

  1. ^ a b 本系列の製造年代を考慮すると、落成当初はES500番台(東洋電機製造の独自開発モデルに付される型番)ではなくES150番台(イングリッシュ・エレクトリック社のライセンス製品に付される型番)の制御器が搭載されていたと推定されるが、落成当初の搭載機器が不明であるため、本項では晩年搭載した制御器の型番を記載する。
  2. ^ a b 1927年(昭和2年)から翌1928年(昭和3年)にかけて落成した汽車製造製の車両のみ、車体側面裾部の切り込みがないという特徴を有する。
  3. ^ 一部の車両については副運転室が設置されていない片運転台仕様で落成したとする資料も存在し、特にデハ35・36については副運転室付近にロングシートの撤去跡が存在したと指摘されている。
  4. ^ デハ21 - 36についても落成当初は正運転室側妻面も貫通構造であり、後述合造車化改造に際して同時に非貫通化改造が実施されたとする資料も存在する。
  5. ^ a b c d e 前期合造車型クハユ3ならびに後期合造車型デハ90は、いずれも汽車製造において焼損車体をそのまま修繕する形で復旧工事が施工されたが、出場時に両者の車番の振り替えが実施された。これはデハ90が荷物室を存置したまま復旧工事が実施されたのに対し、クハユ3は復旧工事に際して荷物室を撤去されたことによるものであるが、同改番は汽車側の手違い、すなわち荷物室を存置したデハ90と荷物室を撤去したクハユ3を取り違えたことによって生じた錯誤が原因であると指摘する資料も存在する(『鉄道ピクトリアル 第115(1961年2月)号』 pp.50・52)。なお、「デハ90」として竣功したクハユ3、「クハユ3」として竣功したデハ90とも、現車はいずれも動力を持たない制御車であり、後年の大改番まで車番の修正が実施されることなく運用された。
  6. ^ 事故被災等による復旧名義であると推測されるが、詳細は不明である。
  7. ^ 残る1両はクハ430形434であった。
  8. ^ モハ3210形を例に取ると、1961年(昭和36年)3月当時に東上線へ配属されていた19両(モハ3210 - 3228)については、全車とも副運転室・トイレならびに副運転室側パンタグラフ撤去が施工されており、モハ3210 - 3217については前面貫通構造化も施工済であった。一方で同時期の本線所属車両については、前述接客設備改善工事を施工された6両(モハ3230 - 3233・3235・3236)を除くと、モハ3239・3247の2両に対して副運転室・トイレの撤去が施工されていたのみであり、前面貫通構造化を施工した車両は存在しなかった。
  9. ^ モニ1170を名義上の種車として製造された3000系サハ3682(後サハ3212)は心皿荷重制限の都合上種車の装着したブリル27-MCB-2を流用せず、予備品の省形釣り合い梁式台車TR11を装着した。

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