星一徹 来歴

星一徹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 08:32 UTC 版)

来歴

年齢、生年については原作ではどこにも触れられていない。一徹現役時代に川上哲治を呼び捨てにしてタメ口で話していた(飛雄馬の巨人入団以降は「川上さん」と呼んで敬語使用)ことから、河崎実は『「巨人の星」の謎』で「一徹は川上と同い年」と推定している。すると一徹初登場の昭和32年(アニメ)または昭和33年(原作)で37歳か38歳。『新・巨人の星II』最終回で川上哲治と同い年だったとすると58歳になる。また、川上と同期入団で同い年(1919年生まれ、川上は1920年3月の早生まれ)の吉原正喜を「吉原さん、吉原先輩」と、川上・吉原より1学年下(1920年12月生まれ)の嶋清一を「嶋君」と呼んでいたことからも推測される。

また、一徹入団時に当時の監督藤本定義から「出征した水原君のあとの3塁を守ってもらう。」と言われていたことから、また嶋清一との会話の中で「会社を休んで甲子園の君の試合を見に行った。」と語っていたことから、一徹は水原が出征した1942年に社会人を経由して、巨人軍に入団したと推測される。

アニメでは過去が詳細に描かれている。中学時代から野球のラジオを聴くなど野球に情熱を燃やしていたが、貧乏な家に生まれたばかりに暴力癖のある父親に有り金を叩いて買ったズック靴を燃やされるなど苦難が続いた。中学卒業後、小さな建設会社に勤めつつ親の目を盗んでは、草野球に励んでいた。その練習中の光景を見た川上に才能を見出され巨人軍に入団。テストなどでも好成績を収めてメンバーからも注目を浴びた。

その後、審判の吉川の紹介で小料理屋で女中をやっていた春江と出会い、一目惚れし結婚。一軍入りを果たし、妻も第一子の明子を身籠り意気揚々としたところに、召集令状が届き戦争に出征。当時、野球選手は真っ先に戦場に送られており、一徹も南方戦線に送られた。

その後、復員し焼け野原となった東京で吉川と再会。吉川の案内でバラック小屋で暮らしていた妻・春江とも再会し、そこで初めて幼児にまで成長した娘・明子と対面を果たす。プロ野球に復帰を促されるも肩を壊してしまった事を理由に一度は拒否。吉川の強い勧めで復帰するが、壊した肩では一塁にまで送球できず途中でゴロになってしまい、途方に暮れる。そんな中、川上や家族の激励を受け魔送球を編み出した。

巨人軍選手時代

物語開始以前(昭和16 - 18年頃?)巨人軍に在籍、のちに川上哲治が「長嶋茂雄を超えていたはずの幻の史上最高の三塁手」と評したほどの名選手だった。太平洋戦争の折に徴兵を受け戦場へ赴く。戦場で利き肩を負傷し、以前の様な送球能力を失ってしまった。帰国当初は野球にやる気を失っていたが、妻・春江の励ましや戦場で交わした吉原正喜・嶋清一との約束を果たすために再起。巨人へ復帰後は送球の遅さを補うため、一塁へ走る打者走者の目の前を横切ってから急激に曲がって一塁手に渡る「魔送球」なる奇手を編み出す。が、球が当たらぬ事を読まれない為に時折走者にぶつけると発言、その考えを「巨人軍の伝統にふさわしくない」と川上哲治に否定される。また自らもその過ちに気付き、プロ野球界から去った。

原作冒頭で記者が読み上げた資料によると、一徹は巨人軍で昭和17年と同23年だけに登録されていた。ちなみに、原作第1巻の川上哲治が魔送球を回想したシーンでの一徹の背番号は18。

息子・飛雄馬誕生後

市井の民となった後はドヤ街の長屋に住み、日雇い人夫として家族を養うが野球への未練を断ち切れず、酒浸りの荒れた日々を送る。そんな思いは妻・春江の死を経て、息子・飛雄馬への猛烈な野球の英才教育へ傾倒する原動力となった。アニメでは、春江が生きていた頃で巨人を引退した後は、人夫仕事で家族を養う俗に言うマイホームパパだったが、飛雄馬に野球をやらせる事には誰よりも反対していた。

この頃の特訓は後年に比べても常軌を逸したものも多く、成長期で骨格や筋肉の未発達な飛雄馬に"大リーグボール養成ギプス”と呼ばれる、筋力増強を目的とした身体装着型器具を常時装着させたり、ある時などは長屋の真ん中で、ガソリンをかけ火をつけたボールを飛雄馬(このときの格好は猿股一丁にサンダル)にノックし、飛雄馬にサンダルで火の球を蹴りかえさせ、一塁方向へ送る訓練を連日続けたりしている。

この様な日々が続き、幼い飛雄馬は相当に父を憎んだが、前述の通り(飛雄馬・幼少期の項参照)なんとか野球の楽しさに目覚めてくれた飛雄馬はジャイアンツ入団の決意を父に語る。この際、一徹は宵の明星を指差し「巨人の星」に例え、飛雄馬に巨人の大きな明星となる様に励ます[1]。以後一徹はその日まで禁酒を宣言して[2] ぷっつりと酒を断ち、以降は若干親らしい愛情も見せる様になった。但し、厳しい特訓癖はその後も永きに亘り持続している。

親子から師へ、そして敵へ

飛雄馬の青雲高校在校中、野球部監督の候補者を探し回っては断られた伴大造の依頼で青雲高校の野球部監督を引き受けるが、部の実力が甲子園レベルまで向上した事を見届けるかの如く、東京都大会直前に退任。

1968年オフ、川上監督直々の二軍コーチ就任要請を断り、打倒・巨人に燃える中日ドラゴンズの招聘により、セントルイス・カージナルスの打者オズマを獲得することを条件にコーチに就任。背番号は「84」だが[3]、この番号を選んだ理由は飛雄馬の「16」と足して「100」とすることで「親子で完璧を目指す」という思いを含んでいる。

就任と同時に“大リーグボール打倒ギプス”による特訓の結果、オズマは飛雄馬の大リーグボール1号を破る事に成功するものの、新たに飛雄馬が開発した大リーグボール2号に敗れる。 その年のオフではオズマが契約切れでの帰国することになり、巨人からトレードで伴を獲得。伴に鬼と呼ばれるほどの苛烈な特訓を課し、伴を飛雄馬の刺客に改造する事に没頭した。

最後は投手生命を犠牲にして伴と自身との最終決戦に勝利した飛雄馬をたたえ、アニメでは飛雄馬を背負い、親子共々球場を去っていくという感動的なシーンを迎えた(原作ではそこまではしないが、やはり飛雄馬との勝負終了を微笑と共に宣言した)。

中日コーチ時代、一徹は水原監督から作戦や代打起用の面でも指揮を任され、ヘッドコーチに近い役割を持つと同時に現実では水原監督が行なっていた三塁ベースコーチも任された(コーチャーズボックスでもウィンドブレーカーを必ず羽織っていた)。本来なら1970年から巨人OBの与那嶺要が中日のヘッドコーチになっていたはずだが、作品ではほとんど描かれておらず、与那嶺は『侍ジャイアンツ』と『新・巨人の星』で中日の監督、後に巨人コーチとして登場する。

その後(『新・巨人の星』以降)

老境後、服装を和装に改め、頭髪こそ急速に白髪化した(設定では当時まだ55 - 58歳)ものの、若いうちに鍛え上げた心身は老いてもなお健在。花形と明子の結婚後も「ご立派な佇まい」の花形邸に住もうとはせず、安アパートで独居生活を営む。杖を突き、さながら老人であるが、肉体はさほど衰えておらず、アスレチッククラブ(今で言うフィットネスクラブ)ではボディービルダーに負けないぐらいのメニューをこなすところも見せた。ただ、野球以外の事に成ると性格が丸くなっており、あんみつなど俗っぽいものも食す様になり、息子の飛雄馬からは「あんな父ちゃんは見たくない」と言われるほど別人と化していた。

そんな折、伴を通して巨人軍復帰を密かに誓いトレーニングを積む飛雄馬と再会する。当初は巨人復帰に反対し、「左腕時代の飛雄馬は完全に巨人の星をつかんだとはいえなかった」と厳しい評価をするが、飛雄馬が復帰してからは、伴と同様、巨人OBとして飛雄馬に協力。下半身につける「大リーグボール養成ギプス右投手用」を作って飛雄馬に与え、伴とともに飛雄馬の「大リーグボール右1号」開発の特訓に参加している(アニメでは大リーグボール右1号開発は飛雄馬とアニメオリジナルキャラクターの丸目の二人)。

これ以降、アニメと漫画原作とでは彼の人生に大きな違いが見られる。

  • アニメ『新・巨人の星II』のラストでは、飛雄馬が日本シリーズをパーフェクトで勝利に導くのを見届けるのと同時に、自室で坐したまま伴宙太に看取られた。飛雄馬の雄姿を見届けながら激動の人生を終えていく。一徹の年齢は劇中で一切明らかでないが原作『新・~』の最終話の舞台となった1978年だとすると川上哲治が当時58歳なので一徹もその前後だったと思われる。ただ、アニメの『新・~II』は後半になって話が原作や史実から離れ、時代設定が不確定になっている。
  • 漫画『新・巨人の星』及び『巨人のサムライ炎』では最後まで存命、二軍コーチとして巨人に尽力する飛雄馬を「飛雄馬は二度も巨人の星になった」と言って評価するようになっている。

このようにアニメの終盤では死んだことになっているが、その後のパロディやCMなどでは、たびたび「復活」している。


  1. ^ このシーンは後年アニメのエンディングで繰り返し流され、本作を代表するシーンとなった。「巨人の星」が具体的にどの星か、という問はファンの興味を引き、テレビ番組やウェブサイトなどでしばしば取り上げられる。長屋が壊された時、野球への情熱を失っていた飛雄馬は「巨人の星も意味はなくなり、スーパーマーケット上空の星に過ぎん」と言っている。もちろん、星が店の上に固定されているわけではない。『新・巨人の星』では伴重工業グラウンドのベンチから見えた夜の一番星となっている。
  2. ^ 『新・巨人の星』では屋台などで酒をあおる様になったシーンが見られる。
  3. ^ 史実では1986年金山卓嗣コーチ(前年に現役を引退して44番から変更)が初めて着用。以後、2017年現在の早川和夫まで一貫してコーチが着用している。
  4. ^ アニメ第18話では、一徹が一番恐れていた周囲に持ち上げられたことによる飛雄馬の増長が一度現実化している。
  5. ^ 『星一徹のモーレツ人生相談』、「週刊少年マガジン」1969年33号~1970.52号。
  6. ^ 作中ではフレディ表記。
  7. ^ ただし、原作漫画では1回のみである。また、アニメ版の2回目は1回目の回想シーンのため、実質的には一度とも言える。






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