忽那諸島 概況

忽那諸島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/05 23:41 UTC 版)

概況

松山市の忽那諸島の資料によれば、市町村合併前の旧松山市の2島(興居島釣島)、旧北条市の1島(安居島)、旧中島町6島(睦月島野忽那島中島怒和島津和地島二神島)の有人9島で構成されるとしている[1]。このほか付近には無人島も散在する。なお離島振興法上の「忽那諸島地域」も安居島、興居島、釣島、野忽那島、睦月島、中島、怒和島、野忽那島、津和地島、二神島の有人9島となっている[2]

この海域では平安時代から室町時代にかけて海上勢力の忽那氏が活躍し、特に中島は「忽那島」とも称された[3]

この忽那氏の勢力下にあった島々は「忽那七島」と称され、愛媛県に属する忽那島(中島)、睦月島、野忽那島、二神島、怒和島、津和地島に加えて、山口県岩国市に属する柱島を含める[3][4]

忽那諸島のうち二神島・津和地島・怒和島および二神島の属島である由利島を特に「神和」と呼ぶことがある。これらの島々が1959年まで神和村であった名残で、現在でも怒和島に神和郵便局があり、これらの島々を経由する中島汽船西線のフェリーは「じんわ」の船名である。

構成

旧市町名は2005年(平成17年)の市町合併前のもの。

自然

  • 山口と愛媛のほぼ中央に位置する。周辺は潮流が渦巻き、クダコ水道は特に好漁場として知られる。
  • 気候は温暖で柑橘類の栽培が盛んである[4]
  • ほぼ全域が瀬戸内海国立公園に含まれる。

歴史

古来、九州と近畿とを結ぶ海上航路上に位置するため、海上の往来が盛んであった。

平安時代から室町時代にかけて海上勢力の忽那氏が活躍し、中島(忽那島)を中心に活動した[3]

『忽那開発記』によると忽那氏の二代目にあたる藤原親朝が寛治年間に六島の開発に乗り出し、嘉保年間には柱島にも影響が及んだ(忽那氏も柱島を支配していた柱氏もともに藤原姓で密接な関係にあったとされる)[3]

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後、忽那諸島は加藤嘉明藤堂高虎の間で分有する協定が取り交わされ、それぞれ松山藩領と大洲藩領となった[5][6]。そして松山藩領には興居島、野忽那島、二神島、津和地島の島々、大須藩領には睦月島(無津木、無須喜)と怒和島(桑名(上怒和)及び嶋尻(元怒和))の島々が属した[5][6]。中島(忽那島)は島内で二分され、松山藩領には長師、宮野、神浦、畑里、饒(にょう)、吉木、熊田の各村、大須藩領には大浦、小浜、粟井、宇和間の各村が属した[5][6]

寛永12年(1634年)に松山藩に松平定行が入府すると、中島本島を指す従来の忽那島の名は大洲藩だけで用いられるようになり、松山藩では風早郡の島方の意味で「風早島」と呼ぶようになった[5]。この風早は、のちの北条市(2005年に松山市に編入合併)付近一帯の地名で、風早郡という郡名もあった(のちに消滅)。

さらに大洲藩領の忽那島では、安永9年(1780年)に粟井村と大浦村の全部と小浜村の半分が天領(幕府直轄領)となり、大洲藩風早郡御預所の管轄となったため忽那諸島の領域の構成は一層複雑化した[5][6]


  1. ^ 松山市 忽那諸島”. 松山市. 2023年8月5日閲覧。
  2. ^ 指定済み離島に対する対応方針”. 国土交通省 国土政策局 離島振興課. 2023年8月5日閲覧。
  3. ^ a b c d 柱島の歴史”. 岩国市教育委員会. 2023年8月5日閲覧。
  4. ^ a b 清水誠治. “愛媛県温泉郡中島町のアクセント (1)-神和・中島の音調型・体言についての中間報告-”. 首都大学東京 大学院 人文科学研究科 人間科学専攻 日本語教育学教室. 2023年8月5日閲覧。
  5. ^ a b c d e 忽那嶋代官屋敷跡”. 松山市. 2023年8月5日閲覧。
  6. ^ a b c d (1)伊予八藩の成立と島々”. 愛媛県生涯学習センター. 2023年8月5日閲覧。
  7. ^ 平成27年国勢調査 松山市ホームページ 2017年10月12日閲覧


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