帝都物語 映画版

帝都物語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 22:36 UTC 版)

映画版

小説を原作とし、映画が3作製作・公開されている。合成部分にハイビジョン[注釈 3]が使われ[6]、日本初の本格的ハイビジョン VFX 映画となった[7][8]

2015年8月8日には第1・2作を1セットにしたBlu-ray Discソフトが『帝都 Blu-ray COMPLETE BOX』と題して発売された。

帝都物語

帝都物語
監督 実相寺昭雄
脚本 林海象
原作 荒俣宏『帝都物語』
製作 堤康二
製作総指揮 一瀬隆重
出演者
音楽 石井眞木
撮影 中堀正夫
編集 浦岡敬一
製作会社 エクゼ
配給 東宝
公開 1988年1月30日
上映時間 135分
製作国 日本
言語 日本語
製作費 10億円
配給収入 10億5,000万円[9]
次作 帝都大戦
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原作の「神霊篇」から「龍動篇」までを映画化。1988年(昭和63年)1月30日公開。製作費は10億円の大作で、出演者にも勝新太郎平幹二朗らを起用。東京グランギニョル演劇『ガラチア帝都物語』に出演したことがきっかけで加藤役に抜擢された嶋田久作はこれが映画デビュー作であったが、その強烈なキャラクターも評判となった。他に、話題のあるキャストとしては、西村真琴を実子の西村晃が演じている。配給収入は10億5,000万円で、その年の日本映画の8位という成績を挙げている。

監督の実相寺昭雄を始め、撮影・中堀正夫視覚効果中野稔など「ウルトラシリーズ」を手掛けたスタッフが多く参加した[10]。中野稔は「『首都消失』や『竹取物語』が円谷SFXの伝統的スタイルの継承とすれば、『帝都物語』は『ウルトラシリーズ』のSFXの系譜に連なるものを、さらに発展・拡大した形と言える」と述べている[10]

ロケセットは、同年公開の崔洋一監督の映画『花のあすか組!』に流用された[11]

企画

一瀬隆重プロデューサー1984年に『星くず兄弟の伝説』を作る際、セゾングループが資金を出してくれ、それが縁で一瀬は西武百貨店社員になった[12]。そこから出向したのが「エクゼ」という会社で、そこで一緒に仕事をしていた人から「『帝都物語』をやりたい」と言われた[12]。それで一瀬がヘッドプロデューサー的なポジションになり、実相寺昭雄監督を口説きにいった[12]クリーチャーデザインのH・R・ギーガー起用は、たまたま当時西武百貨店で「ギーガー展」をやっていて、来日していたから直接ギーガーに会い、「こういう映画をやるんだけど、画を描いて下さい」と頼んだら、あっさり「いいよ」と引き受けてくれた[12]。ギーガーは後で「クリーチャーの出来が酷い」と言ったが、当時の日本の技術では精一杯だった[12]

また一瀬も当時は20代半ばで、堤清二の息子・堤康二と二人で東宝配給を頼みに行ったら「そんな映画、君たちで作れるの?」と笑われたという[8]

脚本

脚本は実相寺監督からの推薦で、岸田理生が書いていたが[8]、一瀬が岸田のホンだと娯楽映画にならないなと岸田を降ろし[8]、一瀬が林海象に頼み、二人で神楽坂旅館「和可葉」に籠り脚本を書いた[8]。林は「豪華キャストが揃う絵巻物のような映画を」という注文を受け[13]、正月映画と聞いていたので、自身の好きな東映オールスターによる仁侠映画純子引退記念映画 関東緋桜一家』をイメージして脚本を書いたと述べている[13]

キャスティング

加藤保憲役のキャスティングは難航した[8]。一瀬と林は当初から嶋田久作で構想していたが、配給の東宝は「主演は有名な人で」と難色を示した[8]。そこで坂本龍一などを候補に挙げた末、小林薫が内定[8]。その後、小林側から監督に会いたいと要望があり、一瀬と実相寺が二人で東京全日空ホテルで小林と対面した[8]。その際、小林は実相寺に「加藤はなぜ東京を壊そうとするのか」「加藤の精神的なバックボーンは何か」等と質問責めに遭わせたため、実相寺は思わず「そんなもんないですよ」「ゴジラみたいなものですから」と言ってしまい、後日、小林の事務所から断りの連絡があった[8]。その間に助演で勝新太郎平幹二朗石田純一原田美枝子坂東玉三郎と豪華キャストが次々決まり、東宝から「もう加藤は誰でもいい」と承諾を得たという[8]

嶋田久作の抜擢は、劇団東京グランギニョルで『ガラチア/帝都物語』の舞台に出ていたなど、複合的な要因であるが[14]、嶋田は役者に特別執着はなく、オファーされた当時は元の庭師の仕事に戻っていた[14]。一瀬が嶋田に正式にオファーした時の嶋田の返事は「(植木屋の)親方に相談させて下さい」だった[8]。親方から「役者をやった方がいいよ」と言われ、正式にオファーを受けた。嶋田自身は「実はもともと別の方が決まっていたんですが、頓挫したんです。荒俣宏先生は伊藤雄之助さんのイメージで加藤保憲を書いたそうで、似た顔の男がいる(笑)そんな感じの抜擢でしょう」と話している[14]。また脚本はよく分からなかったと話しており「大河ドラマぐらい尺を取らないと収まり切れない作品ですよね。ストーリー的には破綻していると思うけど、でもバブルが弾ける直前だった当時の高揚感が、物語の中で描かれた明治から昭和初期までの、伸びやかな時代の野放図さと巧くリンクしていたと思います」などと述べている[14]

撮影

実相寺監督は嶋田の芝居がヘタ過ぎて相当イライラしていたという[14]。熱かったり危なかったり、危険な撮影が続き、目の前で火柱が上がる撮影で、嶋田が両手首を火傷し、病院に直行した[14]。「収拾がつかない状態で繰り広げられた壮大なお祭りのような撮影だった」と話している[14]。嶋田は「撮影は3ヶ月あった」と話しているが[8]、一瀬によれば日本初の本格的ハイビジョン VFX 映画で、ソニーの全面協力はあったものの、簡単な撮影に半日かかったりし、撮影に難航したという[8]。嶋田が現場には行ったが、出番なしの日が多く、感覚的には「自分の出番は7日間ぐらいだったように思う」と話している[8]アーヴィン・カーシュナーが撮影を見学に来たが、観てガッカリしているようだったという[8]

オープンセット

昭島市の昭和の森で総工費3億円、45日間を費やして、銀座4丁目交差点から新橋方面の街並みを150メートル、3,000にわたって再現[15]。銀座通りを走る市電[注釈 4]も2,000万円を使って製造された。銀座のオープンセットでは、のべ3,000人のエキストラを起用。時代考証の細緻さが注目を浴びた。

クリーチャー

式神だけで50体を越すクリーチャーが登場しているが、10人以上のクリエーターが競作で作り上げた。ワイヤーコントロールやマペットによって、さまざまな動きが施された。動く式神や全身を使う式神は、アニメーター真賀里文子によって、完成作品にして1分間のシーンを1間に24コマ撮影する特撮カットを撮影した。クライマックスに登場する加藤の使い魔・護法童子はH・R・ギーガーのデザインによるもの[15]。ギーガーは当初映画全体のデザインを希望したが、準備期間が彼のスケジュールと合わなかったため断念。結局コンセプチュアル・デザイナーとして参加した。

HDVS

ソニーPCLの全面協力を得て、HDVS(高品位ビデオシステム)として日本映画で初めてハイビジョンが本格導入された[15]。作品中では冒頭の土御門家のシーンやクライマックスの辰宮恵子と護法童子との対決シーンに約6分間使用されている。本作によりハイビジョンの映画応用がビジネス的に見ても成立することが実証され、多くの作品制作にハイビジョンが使われていくきっかけを作った[7]

テーマ曲

テーマ曲にはクラシックをアレンジしたものがある。

  • 冒頭のストーリーから加藤登場まではラインの黄金前奏曲
  • 加藤が隅田川を渡るシーンでは復活第1楽章
  • エンディングにはこうもり序曲を使用している。実相寺は当初メヌエットを要求していたが、20世紀初頭という時代背景からワルツの方が相応しいとの石井の主張でこの選曲となった(サントラCDライナーノート[要文献特定詳細情報])。

サウンドトラック

  1. 前奏曲(交響的組曲「帝都物語」)
  2. 地脈(交響的組曲「帝都物語」)
  3. 建設(交響的組曲「帝都物語」)
  4. 破壊(交響的組曲「帝都物語」)
  5. モダニズム(交響的組曲「帝都物語」)
  6. 闘い(交響的組曲「帝都物語」)
  7. 祈り(交響的組曲「帝都物語」)

出演者

スタッフ

帝都大戦

帝都大戦
監督 ラン・ナイチョイ(藍乃才)
一瀬隆重
脚本 植岡喜晴
李美儀
原作 荒俣宏
『帝都物語11 戦争編』
製作総指揮 一瀬隆重
出演者
音楽 上野耕路
主題歌 ジャニス・イアン
「HEAVEN KNOWS」
撮影 安藤庄平
編集 板垣恵一
製作会社 エクゼ
配給 東宝
公開 1989年9月15日
上映時間 107分
製作国 日本
言語 日本語
配給収入 3.5億円[17]
前作 帝都物語
次作 帝都物語 外伝
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1989年(平成元年)9月15日公開。原作の「戦争編」を映画化。監督は前作でエグゼクティブ・プロデューサーを務めた一瀬隆重で、総監督はラン・ナイチョイ(藍乃才)。アクション監督は香港映画チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」の武術指導を手掛けたフィリップ・コク(郭追)。

続編構想の際、一瀬は再び実相寺昭雄に監督依頼を考えていたが、当時所属していたセゾングループに陰りが見え始め、製作費を前作の半分に減らされた[8][12]。そこでアクション映画に寄せようと思い付き、『孔雀王』を撮ったラン・ナイチョイに依頼したが、日本人スタッフとの意思疎通が不安等の理由で土壇場で降板された[8][12]クランクインも迫り、周囲の説得により一瀬自らが監督に就任[12]。キャスティングも全て一瀬が行った[8]

難解という声が多かった前作とはコンセプトを変えてシンプルな娯楽活劇となり[18]、登場人物の設定なども原作からは変更されている。この事については、荒俣自身も「今回は原作と映画は相当違いますんで、原作を読んだ人は怒らないで欲しい」とコメントしている。

オープンセットは「帝都物語」を超える規模で長崎県佐世保市に造られた[12][18]。長崎ロケは約1ヶ月行われたが、連日雨で混乱した[12]。前作のようなミニチュアはほとんど使わず、オープンセットでのアクションが中心となった[18]。一瀬は「監督とプロデューサーの二つを同時にやるのはムリ、二度と監督はやりたくない」と話している[12]

出演者

スタッフ

サウンドトラック

  1. 序章 (M1)
  2. 流転する運命 (M2)
  3. 復活-怨霊たちの慟哭- (M3)
  4. 美緒の悲劇 (M4)
  5. 凶兆 (M5)
  6. 夢による警告 (M6)
  7. 禁断の力 (M7)
  8. 異形者の哀しみ (M8)
  9. 瑠璃の色 (M9)
  10. 邂逅 (M10)
  11. 選ばれし者の愛の形態 (M11)
  12. 束の間の雪でさえも (M12)
  13. 迫りくる魔人 (M13)
  14. 有楽町・路地I (M14)
  15. 有楽町・路地II (M15)
  16. 雪子の残像 (M17)
  17. この身、我物にあらず (M18)
  18. 地上の愛 (M20)
  19. 破壊さるる帝都~中村の決意 (M21)
  20. 夢の迷路 (M22)
  21. 調伏の理法 (M24)
  22. 決死の反撃 (M25)
  23. 地の底から (特報M)
  24. 怨霊の力 (M26A)
  25. 怨霊の力 (M26B)
  26. 感応しあう二人 (M27)
  27. 霊力の闘い (M28-1)
  28. 怨霊、敗るる… (M28-2)
  29. 祈念成就 (M28-3)
  30. 救い (M28-4)
  31. 終章 (M29)
  32. Heaven Knows

帝都物語 外伝

帝都物語
外伝
監督 橋本以蔵
脚本 山上梨香
原作 荒俣宏
『帝都物語外伝 機関童子』
製作 須崎一夫
出演者
音楽
  • 奥居史生
  • 阿部正也
撮影 藤石修
編集 太田義則
製作会社 ケイエスエス
配給 ケイエスエス
公開 1995年7月15日
上映時間 89分
製作国 日本
言語 日本語
前作 帝都大戦
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1995年(平成7年)7月15日公開。

「帝都物語外伝 機関童子」を原作とするが、内容は大幅に異なる。精神病院を舞台に現代の社会病理を描いているが、書籍『日本特撮・幻想映画全集』(勁文社、1997年)ではストーリーについて欲張りすぎの感があると評している[19]

出演者

スタッフ

  • 監督 - 橋本以蔵
  • 製作 - 須崎一夫
  • プロデューサー - 伊藤正昭、米山紳
  • 企画 - 伊藤靖浩、中沢敏明
  • 原作 - 荒俣宏「帝都物語外伝 機関童子」
  • 脚本 - 山上梨香
  • 撮影 - 藤石修
  • 特殊メイク - 原口智生
  • 美術 - 及川一
  • 編集 - 太田義則
  • 音楽 - 奥居史生、阿部正也

注釈

  1. ^ 昭和は64年で終わったため、実際の元号に直せば平成10年となる。
  2. ^ 魔王篇と不死鳥篇の間に、戦争(ウォーズ)篇、大東亜篇が挿入される。
  3. ^ この作品で使われたのはアナログハイビジョン
  4. ^ 劇中には2両登場。うち1両は『ハチ公物語』からの流用である[16]
  5. ^ ゴールデン洋画劇場』で1989年3月4日にテレビ初放送された際、オープニング・タイトルに名前があったものの、出演シーンは全てカットされた。[独自研究?]

出典

  1. ^ 坪内祐三『私の体を通りすぎていった雑誌たち』新潮社、2005年、p.247
  2. ^ オデッサの階段 #18 荒俣宏のファンタジー フジテレビ公式サイト内
  3. ^ 帝都物語〈9 喪神篇〉 (カドカワノベルズ) BOOKSデータベースより
  4. ^ 吉田豪掟ポルシェ『電池以下』アスペクト、2012年、p.142。荒俣宏インタビュー。
  5. ^ 荒俣宏「あっという間になくなった」 1億超える印税の驚くべき使い道週刊朝日 2012年8月3日号
  6. ^ 「ゴジラ映画を100倍楽しくする 東宝怪獣映画カルト・コラム 38 『ゴジラVSモスラ』のハイビジョン合成技術」『ENCYCLOPEDIA OF GODZILLA ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』監修 田中友幸、責任編集 川北紘一Gakken〈Gakken MOOK〉、1993年12月10日、166頁。 
  7. ^ a b ハイビジョンと映画のメディアミックス に関する研究石田武久, 電気通信大学, 2011-03-24
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 神武団四郎「帝都物語&帝都対戦SPECIAL! 第2回 一瀬隆重×嶋田久作」『映画秘宝』2015年9月号、洋泉社、80–81頁。 
  9. ^ 1988年配給収入10億円以上番組 - 日本映画製作者連盟
  10. ^ a b 中堀正夫中野稔「撮影報告 『帝都物語』 / 帝都物語ビジュアル・エフェクトについて」『映画撮影』、日本映画撮影監督協会、1988年5月20日、31-36頁。 
  11. ^ 川本三郎編『映画監督ベスト101・日本篇』新書館、1996年、p.91
  12. ^ a b c d e f g h i j k 神武団四郎「一瀬隆重プロデューサー Jホラー王、自作を語る!」『映画秘宝』2005年9月号、洋泉社、70–71頁。 
  13. ^ a b 「映画『帝都物語』脚本の林海象インタビュー」『昭和40年男 Vol.35』2016年平成28年)2月号、クレタパブリッシング、2016年、104-105頁。 
  14. ^ a b c d e f g 神武団四郎「『帝都物語』ふたたび 嶋田久作が語る『帝都物語』!」『映画秘宝』2011年4月号、洋泉社、70–71頁。 
  15. ^ a b c 石井博士ほか 1997, pp. 309.
  16. ^ 高松吉太郎「ハチ公電車後日物語」『鉄道ピクトリアル』第37巻第11号、鉄道図書刊行会、1987年11月、79頁。 
  17. ^ 「邦画フリーブッキング配収ベスト作品」『キネマ旬報1990年平成2年)2月下旬号、キネマ旬報社、1990年、175頁。 
  18. ^ a b c 石井博士ほか 1997, pp. 324.
  19. ^ 石井博士ほか 1997, pp. 375.






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