己斐
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 09:33 UTC 版)
地理
己斐の位置
己斐は広島市中心部(紙屋町)から西へ約3から5km、同市西区に位置する地域。主に己斐上・己斐大迫・己斐中・己斐西町・己斐東・己斐本町からなる。東側の福島町とは太田川放水路で隔てられている。西で高須台、南で庚午と接する。庚午との境界には西広島バイパスが走っている[1]。
己斐地域内の地理
地域内をJR西日本山陽本線および広島電鉄本線・宮島線が走り、己斐本町に西広島駅および広電西広島駅がある。また、己斐本町に宮島街道が走っており、西広島駅前交差点付近には前述の2駅のほかひろでん会館が在った跡地に「KOI PLACE」が在る。己斐バスストップが広島電鉄本線および宮島線の広電西広島駅のすぐそばにあり、西広島駅バスストップがJR西日本山陽本線西広島駅のすぐそばにある。地域東部には茶臼山(通称「小茶臼」北緯34度24分27.55秒 東経132度25分29.67秒)があり、昔己斐城(平原城)があったことで知られる。また、地域南部には旭山(北緯34度23分50.8秒 東経132度25分14.1秒 / 北緯34.397444度 東経132.420583度)もあり、己斐古城(岩原城)があったという[2][3]。
河川と橋梁
太田川放水路が地域の東端を流れており、北から己斐橋(北緯34度23分55.99秒 東経132度25分57.48秒 / 北緯34.3988861度 東経132.4326333度)、新己斐橋(北緯34度23分46.61秒 東経132度25分51.37秒 / 北緯34.3962806度 東経132.4309361度)、旭橋(北緯34度23分22.71秒 東経132度25分35.65秒 / 北緯34.3896417度 東経132.4265694度)がかかっている。地域内には八幡川が西から東に流れ、太田川放水路に流れ込んでいる。八幡川には東から順に観光橋(北緯34度23分45.4秒 東経132度25分37.8秒 / 北緯34.395944度 東経132.427167度)、源左衛門橋(北緯34度23分46.51秒 東経132度25分34.79秒 / 北緯34.3962528度 東経132.4263306度)がかかっている[2]。
源左衛門橋は、歴史のある橋である。昔、時の広島藩主は広島入府の後に親友である紫竹源左衛門を呼び寄せて、現在の己斐西町のあたりに領地を与えた。大雨で八幡川が氾濫した時、源左衛門が仮設の橋を渡して大名行列を助けた。このことからその後この場所にできた橋を源左衛門橋と呼ぶようになったのだという[3]。
五月が丘 | 山手町 | |||
高須台 | 福島町 | |||
己斐 | ||||
高須 | 庚午 | 観音 |
- ^ 国土地理院発行2万5千分の一地形図
- ^ a b c Google map
- ^ a b c d e f g h west21.gr.jp2013年9月7日閲覧。
- ^ a b c d 1980,1990,2000,2010年12月末、住民基本台帳調査による。“広島市調べ。”. 2013年12月11日閲覧。
- ^ 住民基本台帳調査による。広島市調べ。
- ^ 広島電鉄ホームページ 広電バス路線図2013年9月7日閲覧。
- ^ 広島バスホームページ 広島バス25号線路線図2013年9月7日閲覧。
- ^ エイチ・ディー西広島ホームページ ボン・バス路線図2013年9月7日閲覧。
- ^ それいけ!ズッコケ三人組ホームページ2013年9月7日閲覧。
- ^ 石井直人・宮川健郎編『ズッコケ三人組の大研究II』p.139(ポプラ社、2000年)
- ^ a b c d e f g h i 『日本紳士録 第44版』広島1-28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月7日閲覧。
- ^ a b c 『日本紳士録 第35版』広島1-28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月4日閲覧。
- ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p73
- ^ 広島県教育委員会ホームページ 広島県の文化財 - 紺紙金泥宝篋印陀羅尼経2013年9月8日閲覧。
- ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p76
- ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p74
- ^ 参考文献『軍津浦輪物語(改定版)』p75
- ^ NHKホームページ 己斐調整場送水ポンプ室2013年9月10日閲覧。
- ^ 『テレビ・タレント人名事典(第5版)』日外アソシエーツ、2001年7月、727頁。ISBN 4-8169-1677-6。
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