島泉丸山古墳
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島泉丸山古墳 / 高鷲丸山古墳 | |
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墳丘・周濠(丸山池) | |
所属 | 古市古墳群 |
所在地 | 大阪府羽曳野市島泉8丁目 |
位置 | 北緯34度34分35.64秒 東経135度35分5.68秒 / 北緯34.5765667度 東経135.5849111度座標: 北緯34度34分35.64秒 東経135度35分5.68秒 / 北緯34.5765667度 東経135.5849111度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径75m 高さ8m |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 須恵器・土師器・埴輪片 |
陪塚 | (宮内庁治定)1基 |
築造時期 | 5世紀後半 |
被葬者 | (宮内庁治定)第21代雄略天皇 |
陵墓 | 宮内庁治定「丹比高鷲原陵」 |
地図 |
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により島泉平塚古墳と合わせて「丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)」として第21代雄略天皇の陵に治定されている。
本項では隣接する島泉平塚古墳(高鷲平塚古墳)についても解説する。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 羽曳野市史 第3巻 1994, pp. 145–147.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 西田孝司 2016.
- ^ a b c 羽曳野市史 第1巻 1997, pp. 300–309.
- ^ a b c 丹比高鷲原陵(国史).
- ^ 天皇陵(宮内庁)。
- ^ 宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』(1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)10コマ。
- ^ a b 『陵墓地形図集成 縮小版』 宮内庁書陵部陵墓課編、学生社、2014年、p. 405。
- ^ 『仲哀天皇陵古墳(藤井寺市文化財報告 第36集 -古市古墳群の調査研究報告V-)』 藤井寺市教育委員会事務局、2014年、pp. 111-124。
- ^ 足立倫行 「「倭の五王」をめぐる論点」『ここまでわかった! 「古代」謎の4世紀(新人物文庫315)』 『歴史読本』編集部編、KADOKAWA、2014年、pp. 48-61。
- ^ 『発見・検証 日本の古代II 騎馬文化と古代のイノベーション』 KADOKAWA、2016年、pp. 335-336。
- ^ 外池昇『事典陵墓参考地 もうひとつの天皇陵』(吉川弘文館、2005年)pp. 49-52。
- ^ 川内眷三 「河内大塚山古墳の研究動向と周辺域古墳群の復原」 (PDF) 『四天王寺大学紀要 第57号』 2014年、pp. 32-41。
- ^ 百舌鳥・古市古墳群リスト(古市)(百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議)。
- ^ a b 島泉村(平凡社) 1986.
- 1 島泉丸山古墳とは
- 2 島泉丸山古墳の概要
- 3 概要
- 4 被葬者
- 5 陪塚
- 6 関連項目
固有名詞の分類
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