妙本寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/10 14:21 UTC 版)
伽藍・境内
- 本堂
- 祖師堂
- 天保年間(1830~1844年)に47世・輪成院日教によって建立された鎌倉最大級(12間四面)の木造入母屋造瓦葺。
- 蛇苦止堂
- 大正14年(1925年)に再建された木造入母屋造瓦葺。比企能員の変の際に井戸(一説に池)に飛び込んで自害した若狭局(讃岐局とも)を祀る。後に若狭局が北条政村の息女に祟りをなした為、日蓮によって「蛇苦止大明神」として祀られたという。
- 鐘楼
- 昭和9年(1934年)に再建された木造瓦葺。
- 総門
- 二天門
- 天保年間(1830~1844年)に本行院54世司務職・慈光院日恭によって建立された木造朱塗銅板葺の八脚門。持国天及び毘沙門天を祀る。
- 方丈門
- 昭和48年(1973年)に建立された鉄骨造黒塗の冠木門。
- 霊宝殿
- 書院・庫裡
- 昭和7年(1932年)に再建された木造入母屋造瓦葺及び亜鉛葺。
- 日蓮聖人銅像
- 平成14年(2002年)に立教開宗並びに鎌倉開教750周年を記念して建立された。
- 一幡の袖塚
- 比企能員の変の後に焼け遺ったとされる一幡の袖を埋めた供養塚。
- 源媄子之墓
- 比企一族供養塔
- 祖師堂正面向かって右手にある。比企能員夫妻・比企能本夫妻を始めとする比企一族の廟所。
- 蛇苦止の井
- 若狭局(讃岐局とも)が身を投げたという井戸。蛇苦止堂の脇にある。
- 前田利家室供養塔
注釈
- ^ 『新編鎌倉志』では日朗を開山としている[2]が、これは本行院の代数に拠ったものと推察される。本行院については後述する。
- ^ 霊跡本山長興山妙本寺・霊跡本山寂光山龍口寺・本山真間山弘法寺・本山龍水山海長寺・本山長崇山本行寺の5ヶ寺。
- ^ 3ヶ寺とも山号に「長」・寺号に「本」が付くことに因んだ名称で、日朗が延慶2年(1309)年正月に著した置文によって定めたもの。「第一比企谷長興山妙本寺、第二平賀長谷山本土寺、第三池上長榮山本門寺、三長三本永く三寺一寺たるべく、法水更に同ぜざるべからざるものなり。中を取りて本土寺の事は貴坊日傳上人へあづけ申すなり。此の旨、曾谷殿も御同心の處也。」とある。
- ^ ここでは便宜上“塔頭首座”としてあるが、寺伝では「本行院」は独立した塔頭寺院ではなく「妙本寺の本院号」(塔頭支院に対する本山の呼称。身延山久遠寺の「妙法華院」・長栄山本門寺の「大国院」等)とされており、厳密な意味での塔頭とは異なる存在である。
- ^ 妙音坊とも号す。
- ^ 仏眼院とも号す。
- ^ 常住院とも号す。
- ^ 東照院とも号す。
出典
- ^ 文化遺産オンライン
- ^ 新編鎌倉志 1915, p. 123.
- ^ 校訂本奥書『寛元四年十二月廿二日於相州鎌倉比企谷新釈迦堂僧坊以治定本書写畢』
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