大般涅槃経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 06:43 UTC 版)
『涅槃経』にちなむ説話・成語
『涅槃経』には、雪山童子の説話と醍醐のたとえ、また慣用句である油断大敵の典拠が説かれることで知られる。
雪山童子
これは法隆寺の玉虫厨子に描かれる「施身聞偈圖」として知られる。釈迦の前世の物語、本生譚(ほんじょうたん、ジャータカ・本尊生譚ともいう)の一つである。釈迦は過去世のいまだ仏が出世しない時にヒマラヤ(雪山)でバラモンの童子でありながら菩薩の行を修していた。ある時どこからか「諸行無常(しょぎょうむじょう)、是生滅法(ぜしょうめっぽう)」と聞こえた。それを羅刹が唱えているのを知り、その後を教えてくれと頼んだが羅刹は「長い間、食事せず疲れて出任せを言った」というと、「ではどうするば良いのか」と童子が聞くと、「人間の生身と生血がほしい」といった。雪山童子はこれを了解したと言い、その後の「生滅滅已(しょうめつめつい)、寂滅為楽(じゃくめついらく)」を羅刹から聞き、後世の者のために聞いた偈を木々や岩に書き写してから、羅刹の餌食になるため高台に登りそこから飛び降りた。すると羅刹は帝釈天に姿を変え、落下する雪山童子を両手を広げて受け止めた。帝釈天は当時雪山童子だった釈迦の修行の真剣さをためし、後に仏となった暁には自身を救ってくれるかどうか確かめたという話である。
この「諸行無常」は、『平家物語』冒頭の部分「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらは(わ)す。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ」の句として殊に有名。また娑羅双樹はクシナガラで釈迦が涅槃に入る時にあった樹木であることから、涅槃の場面を取材したものであることがわかる。また、いろは歌も『涅槃経』の雪山童子から作られていると言われている。
醍醐のたとえ
醍醐(sarpir-maṇḍa サルピルマンダ)はもともと『涅槃経』が他の経典に比べ最高である事を表した言葉であった。涅槃経では「牛より乳を出し、乳より乳酥(にゅうそ)を出し、乳酥より酪酥(らくそ)を出し、酪酥より熟酥[注 6]を出し、熟酥より醍醐を出す」とあり、これを仏教では一般的に「五味相生の譬」という。仏の教えもまた同じように、仏より十二部経を出し、十二部経より修多羅(しゅたら)を出し、修多羅より『方等経』を出し、方等経より般若波羅密を出し、般若波羅密より『大涅槃経』を出す、(「譬如從牛出乳 從乳出酪 從酪出生蘇 從生蘇出熟蘇 從熟蘇出醍醐 醍醐最上 若有服者 衆病皆除 所有諸藥、悉入其中 善男子 佛亦如是 從佛出生十二部經 從十二部経出修多羅 從修多羅出方等経 從方等経出般若波羅蜜 從般若波羅蜜出大涅槃 猶如醍醐 言醍醐者 喩于佛性」)とある。これが醍醐味の語源として仏教以外でも広く一般に知られるようになった。
象喩 (象のたとえ)
油断大敵
「警えば世間に諸大衆有って二十五里に満つ。王、一臣に勅して一油鉢を持たしめ、中を経由し過ぎて傾覆せしむなかれ。もし一滴を棄つれば汝が命を断つべしと・復・一人を遺して、刀を抜いて後に在て随い、これを畏怖せしむ。臣、王の教を受け、心を尽して堅持し、その大衆の中を経歴す。」つまり、ある王が家臣に油鉢を持たせて宮殿の中を歩かせ、その後ろに抜刀した家臣を立たせて監視をさせて、油を覆せば罰して生命を断滅せられる故に注意を怠るを「油断」といわれるようになった(「譬如世間有諸大衆満二十五里 王敕一臣持一油鉢経由中過莫令傾覆 若棄一滴当断汝命 復遣一人抜刀在後随而怖之 臣受王教尽心堅持経歴爾所大衆之中」)という説がある。ただし、これには異論もある。
- 1 大般涅槃経とは
- 2 大般涅槃経の概要
- 3 概要
- 4 大乗の『涅槃経』
- 5 『涅槃経』にちなむ説話・成語
- 6 脚注
- 7 参考文献
- 8 関連項目
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