呉道玄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 07:28 UTC 版)
呉道玄の弟子
- 翟琰
呉道玄は筆で描き上げると、そのまま立ち去ったので、翟琰と張蔵が彩色を行った。その彩色の濃淡は常に的確なものであった。
- 張蔵
構図は粗いが、明快で、構想が豊富であった。10間の寺院壁画を十日以内に描き上げるほどであったが、画法については、呉道玄に全く及ばなかった。「細画」に長けていたと伝えられる。
- 李
名は伝わっていない。地獄や仏像を描くのに長けていた。その画は、呉道玄に似ていたが、少し劣っていた。
- 盧稜伽
その画は呉道玄に似ていたが、才に限界があった。細画を得意とし、狭い画面に山水や細かいものをよく描いた。呉道玄を真似て、荘厳寺の三門に壁画を描き、非常に出来がよかった。呉道玄はこれを見て驚き、「(盧稜伽の)筆力は普段は自分に及ばないのに、私に匹敵するものを描いきあげた。(盧稜伽の)精魂はこれで尽きてしまった」と言った。その後、1か月ほどで、死去したと伝わる。「唐朝名画録」では、第六位「妙品下」に評価されている。
参考文献
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- 張彦遠『歴代名画記』1、長広敏雄訳注、平凡社〈東洋文庫 305〉、1977年。ISBN 978-4-582-80305-1。
- 張彦遠『歴代名画記』2、長広敏雄訳注、平凡社〈東洋文庫 311〉、1977年。ISBN 978-4-582-80311-2。
- 「呉道玄」『東洋史辞典』京都大学文学部東洋史研究室編、東京創元社、1974年、改訂増補。ISBN 978-4-488-00310-4。
- 『酉陽雑俎』全5巻、段成式撰、今村与志雄訳注、平凡社〈東洋文庫 382, 389, 397, 401, 404〉、1980年7月-1981年12月。NCID BN00269646。
- ^ ただし、李思訓は、『旧唐書』によると、開元6年(718年)に死去している。
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