司葉子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 07:42 UTC 版)
経歴
鳥取県[2]西伯郡渡村[注釈 1]に庄司繁二郎の三女として生まれたが、6歳の頃に父を亡くした[7]。鳥取県立境高等学校を経て共立女子短大卒業[1]。
1954年4月、大阪の新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)に入社し[8]、社長秘書を務める[1]。共立女子短大に在学中、ハリウッドビューティサロンを利用。ちょうど美容家のメイ牛山が雑誌モデルを探しており、同年『家庭よみうり』の表紙を飾ったのがきっかけでスカウトされ東宝と契約[1]。映画『君死に給うことなかれ』でデビュー[2]。
「『清く正しく美しく』を社是とする東宝の健全なお嬢さんイメージを代表する一人」とされ、看板女優として活躍[2][3][8]。目鼻立ちがはっきりしており優雅なムードを醸し出す司は戦後の映画界に新しい風を吹き込んだ[1]。
1966年の映画『紀ノ川』(原作:有吉佐和子)では第40回キネマ旬報賞主演女優賞・第9回ブルーリボン賞主演女優賞・第22回毎日映画コンクール主演女優賞・日本映画記者会賞最優秀女優賞など数々の賞を受賞し、その年の7つの演技賞を独占した[1][2]。
1969年に当時大蔵官僚だった相澤英之と結婚[9]。相澤が第34回衆議院議員総選挙に司の出身地である旧鳥取全県区から立候補した際には、婦人講演会や個人演説会まわりに参加して相澤の選挙戦を支えた[10]。それに関連してか、衆院選前年の1975年に一時活動休止を表明している。
1999年に日本大正村の村長に就任[4]。2003年、紫綬褒章を受章。2009年に相澤が学長を務める東京福祉大学の特任教授に就任。2010年秋、旭日小綬章を受章[11]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k 別冊宝島2551『日本の女優 100人』p.47.
- ^ a b c d e f g h 東宝特撮映画全史 1983, p. 532, 「怪獣・SF映画俳優名鑑」
- ^ a b c ゴジラ大百科 1993, p. 124, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
- ^ a b c d e f “第2代村長・司葉子さん顕彰 恵那・大正村に記念館”. 中日新聞. 2021年3月29日閲覧。
- ^ 東京福祉大学お知らせ - ウェイバックマシン(2009年8月3日アーカイブ分)
- ^ 米原章三伝刋行会『米原章三伝』米原章三伝刋行会、1978年、289頁。
- ^ a b c 徹子の部屋
- ^ a b 東宝特撮女優大全集 2014, p. 41, 文・浦山珠夫「東宝特撮を支えたリーディング・アクトレスたち」
- ^ “司葉子、水野真紀ら/政治家と結婚した女性タレント”. 日刊スポーツ (2019年8月7日). 2024年2月25日閲覧。
- ^ '76選挙収録 雪道『朝日新聞』1976年(昭和51年)11月30日朝刊、13版、23面
- ^ “秋の叙勲4173人 桐花大綬章に扇元参院議長”. 日本経済新聞 (2010年11月3日). 2023年4月8日閲覧。
- ^ 志村三代、弓桁あや・編『映画俳優 池部良』(ワイズ出版)257p〜263p。
- ^ 銀座百点「銀幕からの恩返し」(2014.11)、p,93
- ^ 松田美智子「三船敏郎の栄光とその破滅」(月刊文藝春秋 2013年11月号) より、改訂され『サムライ 評伝三船敏郎』(文藝春秋、2014年)。
- ^ われら関西鳥取人 - 皿井昭子
- ^ a b c d e f 司葉子と相田翔子の姑問題が円満解決』
- ^ 『人事興信録. 第8版』(昭和3年)シ九五
- ^ 『米子商業史』118頁
- ^ 愛情の都Movie Walker
- ^ 東宝特撮映画全史 1983, pp. 536–537, 「主要特撮作品配役リスト」
固有名詞の分類
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