反党グループ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/26 08:38 UTC 版)
その後の「反党グループ」
- マレンコフは1961年共産党からも追放され、その後はカザフスタンの水力発電所所長となった。
- モロトフは1957年にモンゴル大使に左遷された。
- カガノーヴィチはウラル地方のセメント工場長に左遷された。
- ブルガーニンは1958年3月に首相を解任され、1961年には党中央委員からも解任された。
- ヴォロシーロフは許されて1960年5月まで最高会議幹部会議長を務めたが、実権からは遠ざけられたままであった。
参考文献
- ストローブ・タルボット(編)『フルシチョフ回想録』タイムライフインターナショナル、1972年
- 駒村哲「「反党グループ」事件に関する一考察(1)」『信州大学教育学部紀要』86号、1995年12月
- 同上「中央委員会総会(1957年6月)について」『信州大学教育学部紀要』88号、1996年8月
- 同上「「反党グループ」事件とその後」『信州大学教育学部紀要』89号、1996年12月
外部リンク
[前の解説]
「反党グループ事件」の続きの解説一覧
- 1 反党グループ事件とは
- 2 反党グループ事件の概要
- 3 事件の経緯
- 4 その後の「反党グループ」
- 反党グループ事件のページへのリンク