原城
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島原の乱
元和の一国一城令で廃城となった原城で、寛永14年(1637年)に「島原の乱」が勃発した。島原藩主の松倉重政・勝家父子は島原城建設による出費などの財政逼迫により苛政を敷き、また、過酷なキリシタン弾圧を行ったことにより農民一揆を引き起こした。この一揆は島原半島のみならず天草にも飛び火し、島原城・富岡城が襲撃された。しかし、攻城はうまく行かず、やがて一揆の群衆は天草の一揆群衆と合流、廃城となっていた原城に約3万7千人が立て籠もった。 そこで小西行長の家臣の子孫といわれる天草四郎を総大将とし、組織立った籠城戦を展開して幕府軍と戦闘を繰り広げた。
慶長9年(1604年)に主要部の竣工が行われた際に、原城はキリスト教による祝別を受けており(『1604年度日本準管区年報』)[4]、キリストによって祝別された原城は、キリシタンの人々にとって強固な軍事施設であるとともに籠城するのに相応しい城であったといえる[5]。
このとき一揆勢は新たに堀や土塁などを設けている[3]。
- 空堀 - 一揆勢は本丸大手前に空堀を掘り、蓮池とともに本丸を「島」のようにして籠城していた[3]。
- 本丸門跡 - 本丸の最奥部には本丸門跡の遺構があり、絵図「原城諸手仕寄之図」や「細川忠利書状」によると「四郎家」と呼ばれる天草四郎が一揆の際に最後の居場所となった居宅があったとされる[3]。
一揆軍の3ヶ月に及ぶ籠城には水利はあったものの兵站の補給もなく、弾薬・兵糧が尽き果ててきた。対する幕府軍は1千人の戦死者を出しながらも新手を投入し、ついに寛永15年2月27日から28日(1638年4月11日から12日)にかけての総攻撃で一揆軍を全滅させた。幕府軍の記録によると、一揆軍の中で幕府軍に内通していた山田右衛門作だけが助命され、その他は老人や女子供に至るまで一人残らず皆殺しにされたという。幕府軍の総大将であった松平信綱の子・松平輝綱(武蔵川越藩の第2代藩主)は、『島原天草日記』の中においてこの時の様子を「(前略)剰つさえ童女の輩に至りては、喜びて斬罪を蒙むりて死なんとす、是れ平生人心の致すところに非らず、彼宗門に浸々のゆえ也」と記し、一揆軍は殉教を重んずるキリシタンの信仰ゆえに全員が喜んで死を受け入れたとする旨を語っている。ただし、幕府軍は総攻撃を行う前に、キリシタンでなく強制的に一揆に参加させられた者は助命する旨を一揆軍に伝えており、これに応えて1万人以上が投降して生き延びたとする説もある[6]。
幕府軍は乱の終結後、再び一揆の拠点として使用されることのないよう原城を徹底的に破壊し、虐殺された一揆軍3万7千人の遺体は廃墟となった原城の敷地内にまとめて埋められた。その一方で、島原藩主の松倉勝家は苛政により乱を引き起こした責任から、罪人として、大名としては前例のない斬首に処せられた。
なお、明和3年(1766年)7月15日、願心寺の注誉証人と村の庄屋らが、敵味方の区別なく死者を供養するため原城跡に地蔵尊塔の「ほねかみ地蔵」を建立した[3]。
注釈
- ^ a b 原城の海城としての性格は玖島城(長崎県大村市)に近いとされる(柴田2008、16頁)。
- ^ 虎口の種類としては、平入りや枡形が存在する(松本2004、284頁)。
- ^ レオン・パジェス『日本キリシタン宗門史』の原書第1編本文(Léon Pagès. (1869). Histoire de la religion chrétienne au Japon depuis 1598 jusqu'à 1651, Premiere Partie Texte. Paris: Charles Douniol.)にはFarounojo (p.844)とある。これはフランス語式ローマ字であり、ポルトガル式ローマ字ではFarunojo、当時の日本語表記では「はるのじやう」または「原(ノ)城」、現代日本語表記は「はるのじょう」となる。
- ^ 1990年から始まる発掘調査が開始されたが、近世城郭として整備された本丸周囲に石垣が残存し、破壊された石垣の下から島原の乱の犠牲者の遺骨も発見され、島原の乱以前の破城の痕跡も発見されなかった。
出典
- ^ “長崎、天草の「潜伏キリシタン」が世界文化遺産に決定 22件目”. 産経新聞. (2018年6月30日) 2018年6月30日閲覧。
- ^ “長崎と天草地方の「潜伏キリシタン」世界遺産に”. 読売新聞. (2018年6月30日) 2018年6月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g “島原の乱最後の決戦地『原城跡』”. 南島原市. 2021年8月14日閲覧。
- ^ 千田嘉博「城郭史上の原城」(石井進・服部英雄編『原城発掘』新人物往来社、2000年)
- ^ 服部英雄「世界史のなかの島原の乱」(長崎県南島原市監修、服部英雄・千田嘉博・宮武正澄編集『原城と島原の乱―有馬の城 外交・祈り―』(新人物往来社、2008年)120頁
- ^ 神田千里『宗教で読む戦国時代』(講談社、2010年)
- ^ 松本2004、284・286頁
- ^ a b c 松本2004、284頁
- ^ 松本2004、286頁
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