十月革命 第二回ソビエト大会

十月革命

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/02 16:22 UTC 版)

第二回ソビエト大会

蜂起の最中、予定通り第二回全国労働者・兵士・農民代表ソビエト大会が開かれた。投票によって選ばれた670人の評議員のうち、300人ほどがボリシェヴィキであり、残りのうち100人近くがケレンスキー政府の転覆と革命政権樹立を支持した社会革命党左派(エスエル左派)であった。冬宮占領を待ち、大会は権力のソビエトへの移行を宣言した。こうして革命は承認された。

しかしソビエトへの権力移行には反対勢力もあった。ソビエト大会評議員のうち、社会革命党(エスエル)の右派と中道派、およびメンシェヴィキは、レーニンとボリシェヴィキがクーデターを起こして不法に権力を奪取し、専制を強め、ソビエトの決議が通る前にすでに先に物事を決めてしまっていると責めた。ボリシェヴィキに抵抗する彼らにトロツキーは「おまえたちは破産した。おまえたちの役割は終わった。おまえたちはこれから歴史のごみ箱行きだ」となじった。

10月27日、第二回ソビエト大会は、臨時政府に代わる新しいロシア政府として、レーニンを議長とする「人民委員会議」(Совет народных коммиссаров、略してソヴナルコム)を設立した。大会は全交戦国に無併合・無賠償の講和を提案する「平和に関する布告」、農民ソビエトに貴族・教会など地主から土地を没収し再分配する権限を与えることを宣言する「土地に関する布告」を採択した。ボリシェヴィキは工業を復興させ都市と農村の間で商品が円滑に交換されることを目指しており、農民の支持を必須のものとしていた。彼らは自らを労働者と農民の同盟を代表するとみなした。この観念は、鎌とハンマーをあしらったソビエト連邦の国旗国章に表れている。

さらに大会は次のような布告を行った。すなわち、ロシアのすべての銀行の国有化、工場の管理権限を労働者ソビエトへ与える「労働者統制」、銀行口座の押収、教会資産の没収、戦時中の労働賃金を上回る賃金への固定、ロシア帝国および臨時政府が負った債務の一方的破棄、ポーランドフィンランドの独立への約束である。




  1. ^ Wade, Rex A. The Bolshevik Revolution and Russian Civil War. Wesport: Greenwod Press, 2001
  2. ^ Trotsky: Towards October 1879-1917 by Tony Cliff
  3. ^ A Concise History of the Russian Revolution by Richard Pipes
  4. ^ Central Committee Meeting—10 Oct 1917
  5. ^ J.バーナード・ハットン (著), 木村浩 (翻訳) 『スターリン―その秘められた生涯』61頁、ISBN 9784061588981
  6. ^ http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/RUSknox.htm[リンク切れ]







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