内藤吐天
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/03 14:43 UTC 版)
生涯
岐阜県大垣市生まれ。東京帝国大学薬学科卒。のち名古屋市立大学薬学部長、名城大学薬学部教授などを歴任。岡山六高時代より志田素琴、大須賀乙字に俳句を学び、「獺祭」「草上」「東炎」などに関わる。1946年に「早蕨」を創刊・主宰。「野薊にぴしりぴしりと夕立来ぬ」「あたたかな案山子を抱いて捨てにゆく」など、格調の高い句風で知られたが、晩年はより自由な作風になった。句集に『落葉松』『雨滴声』『早蕨』『鳴海抄』『点心』『臘八』など。また詩を日夏耿之介に師事し、海外の小説や詩集の翻訳もある。1976年5月12日死去、76歳。墓所は雑司ヶ谷霊園。
参考文献
- 『現代俳句大事典』 三省堂、2005年
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus 2015年3月18日閲
- 1 内藤吐天とは
- 2 内藤吐天の概要
固有名詞の分類
- 内藤吐天のページへのリンク