ブルページ ブルページの概要

ブルページ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/18 00:49 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ブルページ
欧字表記 Bull Page
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1947年
Bull Lea
Our Page
生国 アメリカ合衆国
生産 Woodvale Farm
馬主 E. P. Taylor
調教師 Bert Alexandra(カナダ)
→Gordon J. McCann(カナダ)
競走成績
生涯成績 21戦9勝
獲得賞金 25,730ドル
テンプレートを表示

経歴

ケンタッキー州のウッドヴェイルファームで生まれたサラブレッドで、母はブルーラークスパー産駒のスピナウェイステークス勝ち馬アワページ、父は当時のリーディングサイアーであったブルリーという良血の出であった。1948年のイヤリングセールで38,000ドルで売りに出され、これをカナダ醸造業者エドワード・プランケット・テイラーが購入した。

しかし、当時のブルリー産駒の活躍ぶり(同年は産駒のサイテーションアメリカ三冠達成のほか、コールタウンビウィッチなども活躍していた)からすればこれは破格の値段であった。

その競走能力には調教師も認めるものがあったが、体調には難があったためデビューは遅れ、3歳の時にフロリダで競馬場デビューを果たした。ガルフストリームパーク競馬場で初勝利を挙げたのち、ニューヨーク州のジャマイカ競馬場の下級条件戦で2勝を挙げた。

ブルページの本領が発揮されたのは4歳の時である。この年、ブルページは本国カナダを中心に出走し、ウッドバイン競馬場のオータムハンデキャップと、ロングブランチ競馬場のカナディアンチャンピオンシップステークスで優勝した。同年は16戦して3着以内に入れなかった競走は2つだけと安定した成績を誇り、この年のカナダ年度代表馬に選出された。

引退後

4歳で競走馬を引退し、1952年からテイラーのナショナルスタッドファームで種牡馬となった。初年度からステークス競走勝ち馬を出すなど良い滑り出しを見せ、最終的には競走馬時代の実績以上の評価を得るに至った。ただ、牡馬の活躍馬、および後継種牡馬に恵まれず、直系の父系はほぼ残っていない。

特に代表的な産駒に、1956年生のニュープロヴィデンスと、1959年生のフレーミングページがいる。ニュープロヴィデンスはカナダ競馬史上6頭目のカナダ三冠馬になり、フレーミングページはクイーンズプレートカナディアンオークスの変則二冠を達成した。また両者とも繁殖実績で後世に影響を残しており、ニュープロヴィデンスはストームバードの母父に、フレーミングページはイギリスの三冠馬ニジンスキーの母となった。このニジンスキーの活躍により、ブルページは1970年にイギリス・アイルランドのリーディングブルードメアサイアーに輝いている。

また、牝馬の活躍馬が多く、カナディアンオークス優勝馬を前述のフレーミングページを含めて4頭(Air Page、Yummy Mummy、Maid o' North、Flaming Page)も出している。

評価

主な勝鞍

1950年(3歳)
1951年(4歳)
カナディアンチャンピオンシップステークス、オータムハンデキャップ
2着 - キングエドワードブリーダーズカップハンデキャップ、ジョッキークラブハンデキャップ

年度代表馬

種牡馬成績

  • 1970年 - イギリス・アイルランドリーディングブルードメアサイアー

表彰




「ブルページ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ブルページ」の関連用語

ブルページのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ブルページのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのブルページ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS