フランシスコ・デ・ゴヤ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 05:57 UTC 版)
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2020年1月) |
フランシスコ・デ・ゴヤ | |
---|---|
本名 | フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(Francisco José de Goya y Lucientes) |
誕生日 | 1746年3月30日 |
出生地 | スペイン帝国・アラゴン フエンデトドス |
死没年 | 1828年4月16日 (82歳) |
死没地 | フランス王国・ボルドー [1] |
墓地 | Royal Chapel of St. Anthony of La Florida |
墓地座標 | 北緯40度25分31秒 西経3度43分32秒 / 北緯40.42536度 西経3.72560度 |
国籍 | スペイン |
運動・動向 | ロマン主義 |
芸術分野 | 絵画、デッサン、彫刻、版画 |
教育 | José Luzán |
代表作 |
『裸のマハ/着衣のマハ』 『マドリード、1808年5月3日』 『カルロス4世の家族』 『我が子を食らうサトゥルヌス』 |
注釈
- ^ 1805年完成、ときの首相マヌエル・デ・ゴドイの注文。2枚を重ねて鑑賞するように工夫されている[要出典]。ゴドイは『鏡の中のヴィーナス』と一緒に飾っていた。1814年ゴヤは異端審問所で釈明を求められている。
- ^ 1814年に「5月2日」「5月3日」の2つの作品は、マドリードの蜂起に立ちあがった英雄的行為を描いている。特に後者の作品がゴヤの才能を如実に表しているといわれる。
- ^ ブルボン=ブラガンサ家の王子、ドン・セバスティアン・マリー・ガブリエル | フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス | 作品詳細 | 東京富士美術館
- ^ 三重県立美術館 /所蔵品検索 / アルベルト・フォラステールの肖像
出典
- ^ “ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年2月12日閲覧。
- ^ “"The Frick Collection: Exhibitions"”. 2021年4月18日閲覧。
- ^ a b c フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅲ フランス革命ー世界大戦前夜 原書房 2005年 88ページ
- ^ 「ゴヤとマドリード」山田のぞみ/「マドリードとカスティーリャを知るための60章」(エリア・スタディーズ131) p212 川成洋・下山静香編著 明石書店 2014年6月30日初版第1刷
- ^ 大高保二郎「『巨人』は助手の作品 ゴヤ様式問い直すとき」、2009年2月19日付『読売新聞』
- 1 フランシスコ・デ・ゴヤとは
- 2 フランシスコ・デ・ゴヤの概要
- 3 生涯
- 4 『巨人』の作者について
- 5 関連作品
固有名詞の分類
美術家 |
ウィリアム・アドルフ・ブグロー マリノ・マリーニ フランシスコ・デ・ゴヤ ジェンティーレ・ベリーニ フランツ・フォン・シュトゥック |
19世紀の美術家 |
オーブリー・ビアズリー ウィリアム・アドルフ・ブグロー フランシスコ・デ・ゴヤ 東洲斎写楽 閑々子 |
18世紀の美術家 |
ジョサイア・ウェッジウッド ジャン・シメオン・シャルダン フランシスコ・デ・ゴヤ 東洲斎写楽 閑々子 |
スペインの画家 |
エル・グレコ サンティアゴ・ルシニョール フランシスコ・デ・ゴヤ ラモン・カザス パブロ・ピカソ |
- フランシスコ・デ・ゴヤのページへのリンク