ファンタジア号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/19 15:33 UTC 版)
概説
京葉線開通まで
当路線は、1983年に開園した東京ディズニーランドへ、国鉄を利用して日本各地から訪れる観光客を結ぶ目的で開設された路線で、国鉄バス5原則の中では「鉄道線の培養」に相当していた。東京駅では八重洲北口(現在の日本橋口)から発着していた。
路線開設にあたって、国鉄バスでは初のハイデッカー車[1](三菱ふそうK-MS613SA、のちP-MS715S。富士重工車体)を導入し、同時に新しいカラーリングを採用した[2]。このカラーリングは、その後JRバスになっても、本州のJRバス会社に引き継がれている。また、翌1984年の国鉄専用型式のハイデッカー化にも影響を与えている。
1985年には東北・上越新幹線が上野駅発着になったのに伴い、上野湾岸線が開設された。上野湾岸線では京成電鉄が共同運行事業者となっている。上野駅は入谷口からの発着となった。
東京ディズニーランドが鉄道を利用するには比較的不便な地に開園したこともあり、2路線とも乗客数は年間を通じて多く[3]、1987年の分割民営化前の国鉄バスの中でも優良路線に位置付けられてきた[4]。
京葉線開通直前
しかし、既に東京ディズニーランドの目の前には京葉線舞浜駅が建設されることが決まっており、その京葉線の東京駅乗り入れが1990年3月に決まると、以下のような理由から利用者が京葉線に流れるのは必至とみられるようになった[3]。
- 東京駅から35~60分かかるバスに対して、東京駅~舞浜駅はわずか17分で結ばれる[3]。
- 東京駅の京葉線ホームが新幹線ホームから400m離れていたとしても、バスの待ち時間を考えれば東京駅での乗換え時間はさほど変わらない。
- 運賃もそれまでのバスが600円(1990年当時)だったものが鉄道では210円(1990年当時)となり、鉄道との通し乗車券ではさらに安くなる[3]。
このため、東京湾岸線に新たな魅力を付加する[3]べく、特別な塗装を施したダブルデッカーの投入により、利用者の逸走を軽減する方策を採った[5]。
京葉線開通後
こうして、東京湾岸線にはダブルデッカーが投入され、愛称もファンタジア号と設定されることになった。関係機関への働きかけも行われ、運行開始当初は認可が間に合わなかったためにツーマン運行であった[3]が、1990年5月からは規制緩和によりワンマン運行が認可された[6]。これは、日本では初となるダブルデッカーでのワンマン運行であり、以後夜行高速バスでダブルデッカーが多くの路線に導入される布石となった[7]。
しかし、ダブルデッカー投入直後こそ乗客増により車両の増備も行われた[5]ものの、京葉線開業後には本路線の利用者数は大幅に減少した[8]。翌1991年には東北・上越新幹線が東京駅に乗り入れたが、これ以後は両路線とも積極的な施策は行なわれなかった。
結局、1995年に運行廃止となったが、国鉄バス~JRバスの車両の歴史上では初のハイデッカー車導入、また日本初となるダブルデッカーによるワンマン運行など、日本のバスの歴史において特筆すべき路線であった。なお、路線免許自体はその後も残っており、ドリーム号の東京ディズニーランド乗り入れに活用されている。
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