ビルマ連邦国民連合政府
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政策活動と現状
NCGUB は、主要な活動目的として、
を掲げ、これら3点の達成を念頭に置いた対内、対外活動を行っていた。NCGUBは対外的に、ミャンマー軍事政権(国家平和発展評議会政権)が現状のままで国権を担うことを思い留まらせるべく、国際社会からミャンマーに対する圧力や制裁、その他の形の行動を得るように取り組んできた。
具体的にNCGUBは、1990年の国民議会選挙後にミャンマーで生じた政治的問題、民主化運動の取り締まりや人権侵害を喚起するために、毎年行われる国際連合人権委員会でのミャンマーにおける人権状況の報告や、国際連合総会における軍事政権との政治和解を求める活動を行なってきた。そして、国連総会で決議された勧告[4]を基礎として、NCGUBは各国政府や国際社会から、軍事政権との政治的会話とビルマの民主化をもたらす助けとなるための協働支援を集めていた。
一方、NCGUBは対内的に、軍事政権に対する政治的変化の要求と共に、軍事政権に対抗する少数民族の反政府勢力や国内の諸民主化組織の間で友好と団結の絆を強化するための働きかけを行ってきた。具体的にNCGUBは、「全国民の調和は未来のビルマ連邦の平和に欠くことができないものである」とする理念の下で、国民和解プログラム(National Reconciliation Program:NRP)を策定し、現在では民族紛争の解決と、民族内部・民族間での対話の推進に努めるとともに、各人が将来のミャンマーに対する展望や大望を表すことを奨励していた。
他にも、NCGUBは将来の民主化に対する準備計画として、「ビルマ基金」(The Burma Fund)などの共同組織を通じ、民主化運動の中での組織や個人の能力を築き上げる取り組みをしていた。また、民主化運動によって民主主義をもたらした他国の前例を活動の参考とし、将来のミャンマー政府指導者が政策の自己決定に際してその助けとなるような、民主化運動の比較研究や調査プロジェクトを実施していた。
- ^ ビルマ連邦社会主義共和国時代に存在したビルマの議会。日本語では「国民議会」とも訳される。なお、ビルマ語での名称は「Pyithu Hluttaw」だが、この名称は後に設置される連邦議会の人民代表院でも用いられている。
- ^ 議席定数の3/4。残る1/4の議員はミャンマー国軍最高司令官によって任命される。
- ^ ただし、NCGUBの最大勢力である国民民主連盟(NLD)は選挙への対応を巡って分裂し、大多数は選挙ボイコットに賛同したものの、一部の人員は国民民主勢力(NDF)を結成して選挙に参加した。
- ^ 「1990年の民主的な選挙で表明された人々の意志に従って、民主主義の設立を確実にするために緊急で意義のある対策を取ることと、そのために政党や少数民族の指導者達との実際的な会話を即座に、また無条件に着手する事」を勧告。
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