パウエル・ナツラ パウエル・ナツラの概要

パウエル・ナツラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/26 13:21 UTC 版)

パウエル・ナツラ
基本情報
本名 パヴェウ・マルチン・ナストゥーラ
(Paweł Marcin Nastula)
通称 欧州の黄金柔道王
欧州のJUDOレジェンド
国籍 ポーランド
生年月日 (1970-06-26) 1970年6月26日(54歳)
出身地 ワルシャワ
所属 髙田道場
→チーム・ナツラ
身長 185cm
体重 100kg
階級 ヘビー級
バックボーン 柔道
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獲得メダル
ポーランド
柔道
オリンピック
1996 アトランタ 95kg級
世界柔道選手権
1991 バルセロナ 95kg級
1995 千葉 95kg級
1997 パリ 95kg級
ヨーロッパ柔道選手権
1994 グダニスク 95kg級
1995 バーミンガム 95kg級
1996 デン・ハーグ 95kg級
1999 ブラチスラヴァ 100kg級

一本背負投朽木倒しを自在に使いこなす立ち技の腕もさることながら、その寝技の実力はヨーロッパ随一と言われ、バルセロナアトランタシドニーと、オリンピック3大会に連続出場[1]。アトランタオリンピックでは、95kg級で金メダリストとなった。

ポーランドの首都ワルシャワフィットネスクラブナツラ柔道フィットネスクラブ』 を経営し、実業家として成功している。クラブには柔道場も併設されており、ナツラ自ら初心者、一般、女性、子供たちに柔道を教えるクラスがある[2]

ちなみに、名前のポーランド語での発音に忠実な日本語表記はパヴェウ・ナストゥーラであり、パウエル・ナツラは英語風のリングネームである。一時期、パウェル・ナスツラとも表記された。

来歴

1996年アトランタオリンピック柔道95kg級で優勝し、金メダルを獲得した。

2005年2月20日、ヨアンナ夫人とPRIDE.29をリングサイドで観戦した。

2005年6月26日、PRIDE初参戦となったPRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦し、マウントパンチでTKO負け。

2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005エメリヤーエンコ・アレキサンダーと対戦し、スリーパーホールドで一本負け。

2006年7月1日、PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUNDエジソン・ドラゴと対戦し、腕ひしぎ十字固めでPRIDE初勝利を挙げた。

2006年10月21日、アメリカで開催されたPRIDE.32ジョシュ・バーネットと対戦し、アンクルホールドで一本負け。試合後の薬物検査でステロイドの陽性反応が検出され、ネバダ州アスレチック・コミッションから9か月の出場停止と6,500ドルの罰金を受けた。

2008年8月24日、戦極初参戦となった戦極 〜第四陣〜ヤン・ドンイと対戦。2ラウンドに金的攻撃を主張し、股間を押さえてひざまついたところ、レフェリーに戦意喪失と判断されTKO負けを喫した。

人物・エピソード

  • 母国ポーランドでは国民的英雄である。テレビの出演依頼がひっきりなしに訪れ、道を歩いていてもよくサインをせがまれるという。



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