ハラール・セーヴェルー ハラール・セーヴェルーの概要

ハラール・セーヴェルー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/26 17:36 UTC 版)

ハラール・セーヴェルー
Harald Sæverud
ハラール・セーヴェルー (1967年)
基本情報
出生名 ハラール・シグール・ヨハン・セーヴェルー
(Harald Sigurd Johan Sæverud)
生誕 1897年4月17日
出身地 スウェーデン=ノルウェー
 ノルウェーベルゲン
死没 (1992-03-27) 1992年3月27日(94歳没)
 ノルウェーホルダラン県 ベルゲン
学歴 グリーグ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 作曲家
指揮者

生涯

生い立ちと初期

ベルゲン出身。基礎教育をベルゲン・グリーグ音楽院で修め、ライプツィヒに学んだ作曲家ボルクヒルト・ホルムセンらに師事した。この間にいくつかの大規模な《交響的幻想曲》に着手するが、これらはその後《交響曲 第1番》へと発展した。そのうち《幻想曲 第1番》は1919年に完成し、翌1920年にクリスチャニア(現オスロ)で上演された。破格の才能が発揮されたこの作品によって奨学金を受け、ベルリン高等音楽学校で2年間フリードリヒ・コッホに師事することができた。ベルリン時代に交響曲第1番の終楽章となる部分を完成させ、この新作部分は、友人ルドヴィク・モヴィンケルの指揮により、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演されている。批評はセーヴェルーの交響曲にいたって好意的で、この結果セーヴェルーは交響曲や管弦楽曲への興味をさらに伸ばすことができた。

1922年にベルゲンに帰郷し、若干の例外はあるものの、生涯この地を離れなかった。最初期の作品は後期ロマン派様式に彩られていたが、後に個人様式を発展させ、ハイドンモーツァルトに啓発された古典的な音楽形式に依拠するようになった。しかしセーヴェルーの「新古典主義音楽」は、不協和で表情激越な表現主義音楽にしばしば近い。

ベルゲン時代

米国生まれのマリー・フフォスレーヴと1930年代に結婚し、ベルゲンの町外れに大きな新居を構えて1939年に家族でそこに移った。今やセーヴェルーは自然に親しむようになり、そこから作品に影響と霊感を受けるようになり、より国民楽派的で「より若々しい」作風へと切り替わった。1940年ナチス・ドイツがノルウェーを侵寇する。この頃からセーヴェルーの作品は、占領軍に対する武器と化した。当時の主要な作品に、一連の戦争交響曲(《交響曲 第5番<幻想曲風に> Quasi una fantasia 》《交響曲 第6番<哀しみの交響曲> Sinfonia Dolorosa 》《交響曲 第7番<詩篇交響曲> Psalm 》)が挙げられる。またこの時期には、ナチスへの直接的な抵抗音楽《蜂起のバラード Kjempeviseslåtten 》(ピアノ版と管弦楽版の2種あり)も成立している。

これらの激しい作品とは対照的に、ノルウェーの景観や民謡に触発されて、多数のピアノのための抒情的小品も手がけているが、民謡そのものを借用することはしなかった。

戦後

第二次世界大戦後、セーヴェルーはノルウェー楽壇の長老として認められ、たくさんの作品が支持されるようになった。後期作品でとりわけ特筆すべきは、イプセンの戯曲『ペール・ギュント』への劇付随音楽1948年)や、《交響曲 第8番<ミネソタ> Minnesota 》(1958年)、《交響曲 第9番》(1966年)、バレエ音楽《青ひげ伯爵の悪夢》、ピアノ協奏曲ヴァイオリン協奏曲ファゴット協奏曲であろう。長い一生の終わりの20年間に、セーヴェルーはにわかに室内楽に興味を抱き、とりわけ3つの弦楽四重奏曲や2つの木管五重奏曲のような室内楽曲を手懸けた。

1992年に逝去すると、ベルゲンのグリーグ・ホールで葬儀が行われ、その模様はノルウェー国営放送によってテレビで放映された。

評価

ハラール・セーヴェルーは、ユーモラスでユニークな発言で知られていたが、一方で母親から憂鬱な一面を引き継いでいると自覚していた。「私の作品は恐ろしく物悲しい。ひどく物悲しいのです」と自ら語っている。作品も独特であり、指揮者ジョン・バルビローリは、「セーヴェルーの作品が好きであろうとなかろうと、それを作曲したのが誰なのかは疑問の余地がないし、このような作曲家はこんにち滅多にいるものではない」と語っている。




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