チネリ 歴史

チネリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 14:04 UTC 版)

歴史

  • 1948年 - チーノ・チネリによってイタリアミラノにて創業
  • 1963年 - アルミフレームの製造を開始
  • 1974年 - エアロフレームの製作を初めて行う
  • 1985年 - コロンバスを中心とするアンドレア・コロンボが率いるグルッポに買収される

ブランドヒストリー

チネリは、イタリアのサイクリスト協会の元会長兼元プロロードレーサーだったチーノ・チネリ(Cino Cinelli)によって設立された。チーノは10人兄弟のうち7番目で、フィレンツェ近郊の小さな地主の息子だった。レースでの機械的な不具合を機に自転車技術に興味を持つが、自身のアイデアはメーカーが興味を持たなかったため、自ら会社を設立した。弟のジョットはフィレンツェで鉄製のステムとバーを製造していたため、チーノはイタリアの自転車産業の中心地であるミラノにチネリの事業を移した。チネリはステム、バー、フレームの製造を開始したが、当初は他の会社の卸売りに頼っていた。しかし、チーノが引退する頃には、チネリオリジナルの商品は売上の半分を占め、ステムとバーはその80%に達するまでに成長した。

1963年には、合金製のステムやバーの生産を本格的に開始した。チネリは強度上の不安から合金製パーツの製造に他のメーカーよりも遅れを取ったが、合金製のステムとバーの年間生産量は、1950年代には5,000本であったのが1960年代初期には7,500本に増加し、さらに1978年には150,000本に達した。一方で、フレームは1年間に700本ほどしか製造しなかった。1974年オレ・リッター英語版は、チネリ製のエアロロードバイク英語版によって、彼自身のアワーレコードの記録を更新した。

現在の主要製品は、1947年から製造されている「スペシャルコルサ」(: Speciale Corsa)である。サプライヤーが「スペシャルコルサ」(Speciale Corsa)ではなく「スーパーコルサ」(: Supere Corsa)と書かれたステッカーを誤って送ったことから、「スーパーコルサ」とも呼ばれるようになった。

ヘッドバッジ

チネリのヘッドバッジは元々七宝(真鍮にガラスを焼き付けたもの)で、高さは55mmだった。その後1953年頃、エナメルで高さ56mmの手描きになり、 1958年頃高さは51mmに縮小され、1978年にはデカールになった。デザインは、当時チネリ家の家宝だった騎士のヘルメットと、赤いユリ(フィレンツェのシンボル)と緑の蛇(ミラノのシンボル)が描かれている。




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