スペツナズ 教育

スペツナズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 23:24 UTC 版)

教育

下士官・准士官

スペツナズ創設時から、下士官は部隊で訓練されている。各中隊において、第1小隊は教育小隊であり、全中隊のために下士官を訓練している。しかしながら、要求される特技の増加に伴い1970年に教育中隊と教育大隊、その後、プスコフ州ペチョーラ市に教育連隊が編成された。ペチョーラ教育連隊には、2個教育小隊を含む准尉学校も存在した。

1985年のアフガン戦争中、チルチクにも教育連隊が編成されたが、ソビエト連邦の崩壊と共に1994年、連隊はウズベキスタン軍に移管され、機動軍教育センターに改編された。

1999年、ペチョーラ教育連隊は解散され、下士官・准士官の訓練は、部隊での直接訓練に復帰している。

下級将校(尉官)

下級将校の教育は、1968年まで部隊で実施されていた。しかしながら、軍事技術の進歩はスペツナズ将校により高度な知識を要求し、リャザン空挺学校にスペツナズ将校養成のための第9中隊が創設された。

第9中隊生徒の教育プログラムは、空挺兵のプログラムとは根本的に異なっていた。それは、小グループの戦力による敵後方縦深で特殊任務を遂行する際に役立つ、より本格的な知識の獲得に向けられた。

教育プログラムには外国語の学習も含まれた。各小隊は4個分隊を含み、その各々は英語ドイツ語フランス語又は中国語を学習する語学グループでもあった。1980年のアフガン戦争開始と共に、ファルシー語とペルシア語(後にダリー語)の2個小隊が編成された。

1981年、第9中隊の小隊に基づき第13及び第14中隊が編成され、1982年初めに大隊となった。大隊は1994年まで学校の編成下にあった。

リャザンの外、キエフ高等諸兵科共通指揮学校の偵察学部もスペツナズ将校の教育を行っていたが、ソ連崩壊と共に同学校は、ウクライナの手に渡った。1994年、ノヴォシビルスクに新しい諸兵科共通学校が創設され、その編成下にはリャザンから移転したスペツナズ大隊が入った。

上級将校(佐官)

上級将校の教育は、70年代末まで一般将校と同じカリキュラムで、フルンゼ軍事大学英語版ロシア語版陸軍大学校に相当)で行われていた。1977年から、偵察学部にスペツナズのために特別に訓練される聴講生のグループが創設された。アカデミー卒業生は大隊長副旅団長に補職される。

スペツナズは兵科として独立しておらず、特別な優遇措置(入校者の枠数)を受けていない。戦闘任務に投入され、勉学の時間が取れないことを考慮すると一般にスペツナズ勤務は出世に不利に働く。上級将校の確保のために、ソンネチノゴルスクに短期射撃課程が存在する。同課程の最初の募集は1966年に行われた。数年後、この課程はソンネチノゴルスクからモスクワ郊外に移転した。

平時に偵察活動、つまりスパイ活動に従事するスペツナズ将校(大尉以上)はGRUの軍事外交アカデミーに送られ、卒業後は大使館などで公然・非公然の情報収集活動に従事する。将官への昇進のためには、一般将校と同様に参謀本部アカデミーを卒業する必要がある。








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