スイープトウショウ 気性難

スイープトウショウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/21 03:04 UTC 版)

気性難

難しい性格は幼駒の頃だけでなく、競走馬となっても変わらず、引退までも変わらなかった。馬場に入ることや、ゲート入りを嫌がり続けていた。池添によれば「この馬が現役を続ける限りついて回る問題[121]」だという。

ゲートに入らない

その気性からゲートの入りが悪かった。出走24戦中4戦で枠入り不良を犯している[注釈 14]。初犯、3歳春のチューリップ賞は、発走時刻を3分遅延[142]。2回目、3歳秋の秋華賞は、グローリアスデイズとともに不良で、発走時刻を3分遅延[143]。3回目、秋華賞に続くエリザベス女王杯は、発走時刻を2分遅延[144]。4回目、5歳末の有馬記念は、発走時刻を4分遅延させている[145]

初犯 - 3回目

まず3歳春、チューリップ賞にて「枠入り不良」とされ、トレーニングセンターで行われる発走調教再審査いわゆる「ゲート試験」が義務付けられた[146]。この頃はまだレースに向かうための本格的な調教をしていなかったため大人しく、すんなりこなして合格[147]。桜花賞に臨むことはできたが、ゲート試験が足かせになって既にストレスフル、完調とは言えない状態で臨み敗れていた[148]。それから夏を越して秋、精神面での成長があったとされていた[149][150]。しかし臨んだ秋華賞、勝利こそ挙げたものの再び枠入り不良、ゲート試験が義務付けられてしまう[151]。エリザベス女王杯を出走目指して、再びゲートに向き合い、試験1回目は淡々とこなしたが、2回目は拒否[152][153]。目隠しをされてようやく合格を勝ち取っていた[154][152]。ただやはりゲート試験で既にストレスフル[155]、エリザベス女王杯は待機場所からゲートへの移動すら拒み、敵のはずの他の1頭に寄り添われながらゲートへ[156]。目隠しされては、ファンファーレ前にゲートに入る待遇で「3回目の枠入り不良」、肝心のレースも出遅れ、凡走してしまった[156][155]。3回目の処分は重くなり、30日間の出走停止と、30日満了後に開催競馬場でのゲート試験が課されている[157]

ゲート難解消? - 4回目

出走停止期間は、その後の予定がなく放牧に出されたため、処分に実効性はなかった[158]。放牧の間に4歳となり、4月2日の阪神競馬場最終競走後にゲート試験を受検[159]。強い調教をして気が荒くなる前の状態でゲートに向き合い、すんなり合格していた[68]。始動戦となった都大路ステークスは敗れたが、ゲートを正しくこなしていた[160]。続く安田記念は、鶴留が「今までで一番よかった[161]」と称えるほどのゲートで牡馬相手に2着[161]。ゲートが安定した状態で迎えた宝塚記念は、正しくスタートし、いつもより前の中団につけて優勝を果たしている[162][163]

夏休みを経て秋の毎日王冠は失敗したが[164]、続く天皇賞(秋)とエリザベス女王杯はうまくこなして、エリザベス女王杯は優勝を果たしている[165][166]。鶴留はエリザベス女王杯でゲートにすんなり収まった瞬間、思わず「ヨシッ」と漏らしている[167]。ゲートに収まっただけで喜ぶ姿をさらしてしまい、その様子を見た周りに笑われたという[167]。その後5歳で骨折し、京都大賞典で復帰したがその年の暮れ、有馬記念では4回目の枠入り不良[145]。4回目の発走調教再審査、ゲート試験が課されている[145]。再び4回目の試験を合格し、競走生活晩年の6歳を暮れまで走り切った[168]

頑なに動かない

自身が納得しないと動かない性格だった。調教に向かうまで時間を要し、坂路を2回駆けるところ1本止まりになってしまうことが多々あった。何度か良化し、本番でも良績を残すことはできたが、その後が続かず「通例[169]」「風物詩[170]」などともてはやされた。

4歳春の宝塚記念はそれが解消して勝利を挙げているが、夏を経た秋、天皇賞(秋)では逆戻り。遂には競馬場でそれを披露してしまった。馬場入場の際に動かなくなってしまい「調教注意」の制裁を受けている。池添は「調教で自分が納得しないと全然走ってくれない。厩舎の思い通りにメニューが消化できていたら、もっとすごい競走成績だったはずです[171]」と回顧している。

一か八かの秋華賞直前調教とその代償

クラシックに臨むにあたり、鶴留は「調教ではいつも苦労させられていますよ。坂路を上がる時もスタート地点に行くまで何度も立ち止まって、なかなか動こうとしないんです。時間がかかるし、1日に2本坂路を上がるのは難しい。でも、走り出せばさすがにいい動きをする[172]」と述べていた[173]。実際、負荷をかけるとすぐに不機嫌になってしまうため、調教をいくらか加減させている[174]。例えば坂路2本を1本で終えていた[175]。十分に調教されないままのクラシック参戦。大タイトル獲得に至らなかったものの、生まれ持った能力だけで上位に食い込んでいた[174]。鶴留は「調教をあまり積めない馬がこれだけ走っている。順調にやれたらどれだけ強くなるのか[176]」と嘆いていた。

その後、夏を越えて秋、勝負の時期と考えた陣営は、秋華賞直前にして初めて、負荷をかける調教を敢行する[174][60]。そして臨んだ秋華賞は、ゲートこそうまくこなせなかったが、勝利を挙げ、最後の一冠獲得に成功していた[60]。ただその調教は、長く続かなかった。直後のエリザベス女王杯直前は、ゲート試験も重なって機嫌が悪くなり、坂路の前で30分[177]もしくは40分立ち往生してしまっている[178]

春の好調 - 秋の好不調

放牧を経て4歳春は、安田記念2着、宝塚記念優勝の好成績を残している。この頃は、坂路にスムーズに向かい、順調に調教を消化できていた[179][180]。例えば恒例だった坂路前の立ち往生は、安田記念直前は1分[181]。宝塚記念直前は2分で済んでいた[182]。宝塚記念を終えて、秋を意気込む池添は「宝塚記念は普通にスタートが切れました。……秋もうまくスタートを切れるか分からないけど、今のスイープトウショウなら大丈夫[71]」と述べていた。そして秋、毎日王冠直前はスムーズに調教できていたが[183]、続く天皇賞(秋)直前は、坂路で30分立ち往生[184]。1年ぶりに悪癖がぶり返してしまう[184]。そして迎えたレース本番、それを競馬場でも披露してしまう。

当日は、第125代天皇明仁皇后美智子が東京競馬場に来場し観戦していた[185]。天皇が天皇賞を観戦するという史上初めての出来事であり、1899年、明治以来106年ぶりとなる天覧競馬だった[185]。そんな中、スイープトウショウは一足先に馬場入場を行ったが、スタンド前の入場口の近くで立ち往生してしまう[165]。池添が促しても歯向かうばかりで前進することができなかった。天皇、皇后の御前ということもあり、JRA職員に発走時刻を遅らせることはできないと注意されたが、どうしても動かなかった[186]。池添は、スイープトウショウを諦めて、馬から降りている[165]。通常の馬なら騎手を乗せた状態で、スタンド前の芝コースにて厩務員の手から放たれ、発走地点、ゲートに向かって馬が走るが、スイープトウショウは、厩務員に引かれたまま歩いて向かい、反対に騎手池添が走る始末だった[187]。その後発走地点に到着したスイープトウショウは、ゲートは問題なく入り、5着に敗退している[165]。池添は敗因をスローペースと捉えており、直前のアクシデントはレースに影響していないという[165][187]。この件はJRAから「調教注意」の制裁を受けた。

中1週で臨んだエリザベス女王杯直前は、坂路前の立ち往生は8分で済んでいた[188]。スイープトウショウを甘やかさず、負荷のかかる調教を実施[189][190]。順調に進み、かつ当日も機嫌良く優勝している[166]。エリザベス女王杯後は、骨折して約1年戦線を離れて5歳秋、復帰戦となる京都大賞典直前は、悪癖も全くなくスムーズに登坂し優勝[169][191]。続く天皇賞(秋)直前は、立ち往生3分のみだった[192]。スムーズに坂路に向かい、予定通り調教できる様子に鶴留は「大人になったかな[169]」と捉えていた。

蘇る悪癖、異例のEコース

しかし天皇賞(秋)直後のエリザベス女王杯、直前は坂路に向かう地下馬道で15分立ち往生してしまう[193]。立ち往生している間に、調教場の閉鎖時間が迫ってしまっていた[193]。そもそもその癖が出ないように、あるいは出ても他の馬に迷惑をかけないように、他がいない閉鎖間際の時間を狙って坂路に赴いていた。長く立ち往生してしまったことで、もう登坂する時間が無かった[194]。急遽山田の判断で、Eコース、ダートコースでの調教を敢行[193]。閉鎖時間の10分前に調教場を離脱している[194]。レース直前の調教・最終追い切りは、新馬戦以外すべて坂路で行っていた。報道陣や池添もこれまで通り、坂路やモニターの前でスイープトウショウを待っていた[193][194]。ところがダートコースに現れて現場は大混乱、池添でさえも様子を確認することができなかったという[193][195]

E→D→C→B→拒絶×2

続いて有馬記念に臨む。その1週間前には、遠藤保仁明神智和などガンバ大阪の選手がスイープトウショウを訪れている[196]。この時はDコース、ウッドチップコースでスムーズに調教することができていた[196]。そして直前の調教は、週末のレースを前に水曜日に行っている。通常は木曜日に行っていたが、万一に備えて1日早めていた[197][198]。1週間前と同様にDコースに向かったが、地下馬道では5分の立ち往生で済んでいる[197]。この頃は、2歳牝馬スリジェ[注釈 15][199][200]と調教を共にしていたことで、スムーズに調教をこなすことができていた[196]。スイープトウショウにとってスリジェは「お気に入り[196]」だったという。そして迎えた有馬記念、初の中山競馬場参戦は、枠入り不良、おまけに出遅れて敗退している。

有馬記念の後、放牧に出されて年をまたいでいる。続いて6歳のシーズンは、マイラーズカップでの始動を目指していた。しかしその頃は、坂路をこなすことができなくなっていた[201]。1週間前はCコース、ウッドチップコースにて[201]。直前は、同じくCコースを目指したが、地下馬道で30分立ち往生している[202]。続くヴィクトリアマイル直前は、Cコースを目指したが、またも立ち往生[203]。山田が促しても進もうとはしなかった。そこでCを諦めてBコース・ダートコースへ向かい、調教をこなしている[204]。坂路断念して以降は、このように平地のコースで調教を行っていた。スイープトウショウは頭が良く、1度走ったコースを嫌がる傾向にあった[205]。翻って、初めて、久しぶりのコースならばスムーズに調教を開始することが可能だった。それ以降、嫌がるたびにコースを変えて「E→D→C→B」などと巡る[206]。この頃は、鶴留に「どのコースで追うかが悩みの種[207]」「来週の追い切りが無事にやれるか分からない[201]」などと言わしめていた。

それから宝塚記念直前では、とうとう人間を拒否してしまう。調教前に暴れて、調教に欠かせない鞍を着用できなかった[208]。暴れた挙句に転倒し、右後脚を打撲。調教以前の問題で宝塚記念を回避した[208]。夏休みを経て秋は、京都大賞典を目指した。しばらくBコースを使って順調に調整されていた[209]。迎えたレース当週、直前の調教は万一に備えて水曜日に敢行。Cコース入場には成功した。だがしかし、肝心の調教でまったく走らなかった[210][170]。ただそんな時のための翌木曜日、鶴留はとっておいた最終手段、緊急用のEコースを使用させた[210][170]。しかしそれでも駄目。負けじと超最終手段、開き直って坂路に行かせたが、もれなく駄目だった[211]。鶴留は、直前の調教、いわゆる最終追い切りなしにレースに臨むことはできないと考え、スイープトウショウに屈して京都大賞典の回避を決断している[210]。走る気がまるで見られないことから引退の危機とも報じられた[170]

坂路に向き合う

京都大賞典断念後、前年の12月16日から1年近く、どうにかして掻い潜って来た坂路と戦うことになる[212]。山田ではなく、久々に池添とともに坂路に向かい、30分近く坂路と向き合いようやく決心、登坂を開始する[212]。頻繁に走る気を失っては、池添にムチで促されて何とか完走[213]。引き上げる際には池添が汗でまみれるくらいになっていた[212]。坂路での運動ができ、レースが使える見込みが立ったため、スワンステークスに臨むことが決定した[213]。直前も坂路と対峙[214]。池添が最初から目一杯追ってムチを入れて甘えを失わせ、最後バタバタになりながら完走している[215][216]

前哨戦を無事消化して本番のエリザベス女王杯に出走登録、ただ1週間後のマイルチャンピオンシップにも一応登録[217][218]。万一エリザベス女王杯直前の調教できず、出走を断念した際の保険を確保していた[219][220]。そして迎えた直前の調教、池添とともに坂路と対峙する[221]。いつも通り動かず、30分を過ぎても向かわなかった[222]。鎌田、それに調教スタンドにいた鶴留がスイープトウショウの傍らに駆け寄り、二人で引っ張ってスイープトウショウに挑戦を促す[222]。そして対峙して50分、馬場閉鎖時間まで15分というところで、鎌田、鶴留の作った勢いに乗ってようやく始動する[222][223]。動いたと同時に池添がムチを連打し完走した[224]。調教をこなしたことでエリザベス女王杯が叶い、エリザベス女王杯4年連続出走を果たし、これを以て競走馬を引退している。引退に際して、鶴留は「調教も出来ないし、かつての切れもないし、馬が可愛そうです。寂しい気持ちもありますが、ホッとしたところもあります[225]」と寄せている。

対抗策、改善策

スイープトウショウの気性難は、厩舎を、池添を手こずらせていた。厩舎の人間は、レース前日になると心配で眠れなかったという[226]。鶴留は、普通にゲートに入り、スタートしただけで万歳をしていた[226]。厩舎は、様々な工夫を凝らしている。厩舎を挙げてとしては、スイープトウショウにレースの時期を悟られないように、レース直前にマスコミに取材規制を行っていた[32]

スイープトウショウは、人を乗せて馬場に行っても動かず、予定通りの調教を消化できなかった[175]。担当厩務員の鎌田修一は、不足する運動量を補うため、鎌田が曳いて歩かせて鍛えさせていた[175]。平地コースのみならず、坂路でも共に登っていたという[32]。鎌田によれば、気性難は「きょうが良くても明日は[148]」分からないものであり、一番注意を払っていることは「機嫌を損ねないように[76]」すること、厩舎では「スイープ[76]」と呼んでいた。またスイープの嫌いなことは「知らない人間が近づく[76]」こと、好きな食べ物は「バナナよりニンジン[76]」だという。

担当調教助手山田和広は、騎手を引退して間もなかった。2004年2月末に引退した山田は、師匠の坪正直厩舎で調教助手に転身。2005年2月末に坪が定年になるのに合わせて、鶴留厩舎に移籍していた[227]。山田は移籍した2005年3月、4歳のスイープトウショウと出会っていた[228]。初めは全く敵わなかったが、時間をかけて粘り強くぶつかって、何とか打ち解けていった[229]。山田が来る前は、池添がレースに出向く土曜日、日曜日は調教できなかったが、山田が担当となってからは、毎日調教することができるようになり、成長が加速していた[176]

山田は、スイープトウショウと戦うにあたり、騎手時代に、同様に馬場入りを嫌がったブリリアントロードの経験を応用したという[229]。ブリリアントロードは、所属していた坪正直厩舎の馬で、自身が主戦騎手を務め、調教も担当。コンビで1999年の新潟大賞典GIII)、新潟記念GIII)優勝に導いていた[229]。池添は、山田の働きに対して「一時間くらい止まっちゃってもじっくりと相手をしてくれた。……山田さんが辛抱して乗ってくれるお陰で、以前は出来なかった坂路の角馬場でダクを踏んだりということも出来るようになりました。順調に調教ができるようになったのが宝塚記念制覇に結びついたといっても、大袈裟ではない[48]」と回顧している。

現役期間のほとんどを管理した調教師鶴留明雄は、競馬場での、天覧競馬での膠着を、ダートコースを横切ったためであると推理している[230]。東京競馬場は、ダートコースの内側にある入場口からダートコースを横切り、芝コースに至るが、どうやらこれが難しかったと見極めている[230]。その後、骨折休養を経た約1年ぶりの復帰戦には、京都大賞典が選ばれたが、これは東京競馬場の毎日王冠を避けた意味合いもあった。京都は、馬場入場後すぐに芝に至る設計だった[230]


スイープトウショウ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ミスタープロスペクター系
[§ 2]

*エンドスウィープ
End Sweep 1991
鹿毛 アメリカ
父の父
*フォーティナイナー
Forty Niner 1985
栗毛 アメリカ
Mr.Prospector Raise a Native
Gold Digger
File Tom Rolfe
Continue
父の母
Broom Dance 1979
鹿毛 アメリカ
Dance Spell Northern Dancer
Obeah
Witching Hour Thinking Cap
Enchanted Eye

タバサトウショウ 1993
鹿毛 北海道静内町
*ダンシングブレーヴ
Dancing Brave 1983
鹿毛 アメリカ
Lyphard Northern Dancer
Goofed
Navajo Princess Drone
Olmec
母の母
サマンサトウショウ 1985
黒鹿毛 北海道静内町
トウショウボーイ *テスコボーイ
*ソシアルバターフライ
マーブルトウショウ *ダンディルート
チャイナトウショウ F-No.5-j
母系(F-No.) 5号族(FN:5-j) [§ 3]
5代内の近親交配 Northern Dancer4×4 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ スイープトウショウ 5代血統表2016年7月19日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com スイープトウショウ 5代血統表2016年7月19日閲覧。
  3. ^ JBISサーチ スイープトウショウ 5代血統表2016年7月19日閲覧。
  4. ^ JBISサーチ スイープトウショウ 5代血統表2016年7月19日閲覧。

注釈

  1. ^ 旧称・藤正牧場(トウショウ)。
  2. ^ 1968年とも。
  3. ^ 母アテナトウショウ、母父トウショウボーイ。北海道浦河町の信成牧場の生産。1997年の菊花賞(Template:JRA)を勝利した。
  4. ^ 後にウオッカも誕生する。ウオッカの母母は、エナジートウショウ。母母父はトウショウボーイ、母母母はコーニストウショウ。
  5. ^ 一般に勝ち上がり率と呼ばれる。
  6. ^ 母タバサトウショウに騎乗し勝利、母母サマンサタバサにも騎乗し重賞利を挙げている。
  7. ^ 277票を集めたヤマニンシュクルが受賞。該当馬なしが2票、ダンスインザムードが1票、マルターズヒートが1票。
  8. ^ 池添が競馬場で涙を流したのは、これが3回目だった。1回目は2002年桜花賞をアローキャリーで制し、GI初勝利を挙げたとき。2回目は、2000年秋華賞でヤマカツスズランに騎乗し、ティコティコタックに敗れた2着だったとき。2回は、うれし泣きと悔し泣きだった。
  9. ^ 248票を集めたダンスインザムードが受賞。スイープトウショウを挟んで、ダイワエルシエーロ10票、該当馬なし4票と続いた。
  10. ^ グレード制導入されて以降。
  11. ^ 簡単に言えば、1994年から1995年にかけてジャパンカップや有馬記念で2着となったヒシアマゾン、1997年から1998年にかけて宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念で2着3着となっていたエアグルーヴを超える成績を挙げた。
  12. ^ グレード制が導入された1984年以降。
  13. ^ 次点は、ヘヴンリーロマンスの36票。全ての票はこの2頭に集中した。
  14. ^ 20戦は枠入り不良と判断されなかった[122][123][124][125][126][127][128][129][130][131][132][133][134][135][136][137][138][139][140][141]
  15. ^ スリジェ(欧字名:Cerisier)は父フサイチコンコルド、2歳の未勝利。この後、3歳まで走り9戦未勝利に終わる。馬名の由来は、フランス語で「桜の木」を意味する。
  16. ^ 「112」のダンスインザムードに次ぐ牝馬2位。1つ下の「110」には、ダイワエルシエーロとヤマニンシュクルが続いた。
  17. ^ 日本調教馬1位は「122」のハーツクライ。牝馬のセックスアローワンス4キログラムを加味すると、「121」のスイープトウショウは2位。「120」のゼンノロブロイを上回る[240]

出典

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