ウンナン世界征服宣言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/27 01:36 UTC 版)
UN NAN世界征服宣言 NAN UN世界征服宣言 | |
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ジャンル | バラエティ番組 |
構成 |
すずまさ、西川晋 おちまさと、内村宏幸 海老克哉、そーたに 都築浩、中野俊成 浅田敦史、笹沼大 |
ディレクター |
柳井誠也、岡村勝久 篠宮浩司 |
演出 |
工藤浩之 加藤幸二郎 土屋敏男 |
出演者 |
ウッチャンナンチャン 大神いずみ |
ナレーター | 小杉十郎太 |
国・地域 | 日本 |
製作 | |
プロデューサー |
土屋敏男 篠木為八男 |
制作 | 日本テレビ |
放送 | |
放送局 | 日本テレビ系列 |
映像形式 | NTSC(横縦比4:3) |
音声形式 | モノラル放送 |
放送期間 | 1992年10月2日 - 1995年3月31日 |
放送時間 | 金曜 23:25 - 23:55 |
放送分 | 30分 |
番組年表 | |
前作 | ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA. |
次作 | ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!! |
後述の理由により、『NAN UN世界征服宣言』と題して放送されることもあった。
概要
「〇〇を征服する」というコンセプトのもと、ウッチャンナンチャンの2人が毎回それぞれに持ち寄った企画VTRを披露しあっていた。時にはウンナン2人が直接対決する企画や、対決の要素がない所謂密着取材系企画もあった。1993年1月からはゲスト出演者(基本的に女性)が両者のVTRを見て、どちらが面白かったのかを判定する制度を導入したが、ゲスト制は1994年7月の番組リニューアルを機に廃止された。
前身は『ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.』で、当時ウンナン2人が出演する映画『七人のおたく』の撮影に専念するために休止となっていた。この間に放送されていたつなぎ番組の『進め!電波少年』が好評を博したことから、枠と曜日を変えて復活したのが当番組である。『SHA.LA.LA.』よりも放送時間が遅くなったが、全国同時ネットに昇格している。
男気対決の第2弾の挑戦前のスタジオトークで「勝利した側には次回放送分における番組タイトルの優先権を与えられる」決まりが付けられ、内村光良が勝った場合にはそのまま『UN NAN世界征服宣言』とし、南原清隆が勝った場合には『NAN UN世界征服宣言』となった。勝者が変わるごとに番組タイトルが変わるため、新聞社などからクレームが付いたと番組冒頭のトークで2人が嘆いていたこともあった。また、キャイ〜ンをゲストに迎えて対決した際には、『AMA UN』『UN UDO』となったこともある。この企画で5週連続勝ち抜きを達成すると世界一周旅行が贈られ、南原がこれを達成した。ただし、贈られたのは1泊4日の旅であった。
番組の終了後、『なぜ世界征服宣言は、ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!になったのか 2・3の理由』という特番を一旦挿んだ後に、金曜20:00枠で後継番組の『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』がスタートした。
放送時間
日本テレビ系列局では毎週金曜 23:25 - 23:55 (日本標準時、以下同)に放送。沖縄テレビでは当初は土曜 14:00 - 14:30 に放送されていたが、後に日曜 23:00 - 23:30 に変更された。
この番組が放送されていた金曜23:25枠(かつての金曜23:00枠)は、JTがメインスポンサーを務める枠として長らく続いていたが、番組後期にはJTと花王の2社がメインスポンサーを務めていた(この2社以外にもスポンサーは複数存在していた)。ちなみに花王は、『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』の後継番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』でも筆頭スポンサーを務めていた。またJTは、その後の金曜23:00枠で放送されていた『アナザースカイ』でも一社提供→メインスポンサーを務めていた。
- 1 ウンナン世界征服宣言とは
- 2 ウンナン世界征服宣言の概要
- 3 出演者
- 4 スタッフ
- 5 ウドにもわかる世紀末
固有名詞の分類
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