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ウェストバージニア (戦艦)


注釈

  1. ^ a b c 【メリーランド型】ウエストヴアージニア號[106](戰闘部隊戰艦旗艦兼第四戰艦隊旗艦、アンダーソン少将坐乗、艦長マークランド大佐) メリーランド號(艦長マツキー大佐)要目=一九二一年竣工、排水量三万千五百トン、速力二〇.七ノツト、主砲十六インチ砲八門、副砲五インチ砲十二門、高角砲五インチ砲八門
  2. ^ 日本語ではウェストヴァージニヤ[注釈 1]ウヱストヴァージニア[3]ウェストバージニヤ[4]ウェスト・ヴァージニア[5][6]と表記することもある。
  3. ^ 戰艦“ウエスト・ヴアジニア West Virginia[7] 全要目{排水量31,800噸 速力21.0節 備砲40糎砲8門 12.7糎高角砲12門 魚雷發射管(53糎水中)2門 起工1920年4月 竣工1923年12月 建造所 ニューポートニュース造船所} 排水量は一寸大きいが外はすべてメリーランドと同一の要目。この寫眞では後部砲塔の上と後甲板とにカタパルトを装備してゐるのがよく判る。今日まで永い間名のみ著名なる大戰艦として、閑地にあつたが、主として巡洋艦の建造で發達した新時代の造船技術は、徹底的に、この大戰艦を改造し新らしい35,000噸戰艦として再誕生させることであらう。主砲と、その射撃装置、航空機に對する兵装等改善すべきところは非常に多い。また速力も増さなければなるまい。
  4. ^ 日本ではウェストバージニヤ型と表記したこともある[8][9]。アメリカ側の報道や日本海軍の将校でも[10]、最初に完成したメリーランド (USS Maryland, BB-46) をネームシップとしてメリーランド級戦艦と呼称することもある[11]
  5. ^ 亞米利加合衆國 戰艦メェリーランド(一九二一年七月竣工)[6] 基準排水量三一五〇〇噸。(全載量三三五九〇噸、時速二一節。一九一六年、第四六號艦として認可。コロラド(四五號艦)及びウェスト・ヴァジニア(四八號艦)と同型。旗艦たるに適ふ。砲塔並びに後尾甲板上に各々一基カタパルトを有す。幾らか全載量の大なる外は殆どカルフルニア級と大同小異。華府海軍條約に依り廢棄。
  6. ^ 初代はペンシルベニア級装甲巡洋艦ウェストバージニア (USS West Virginia, ACR-5) で、2代目の本艦に名前を譲ってハンチントン (USS Huntington, CA-5) と改名された。3代目はオハイオ級原子力潜水艦ウェストバージニア (USS West Virginia, SSBN-736) 。
  7. ^ 撃滅された米主力艦の性能(略)[16] (2)メリーランド型=代表艦はメリーランドで排水量三萬一千五百噸 一九二一年完成、十六インチ砲八門、五インチ砲二十門の装備を有し速力は二十一節、ウエストヴアーヂニア(三一,八〇〇噸)とコロラド(三二,五〇〇噸)が姉妹艦である(寫眞(2)はウエストヴアーヂニア)(以下略)
  8. ^ 一、敵方損害[17] ◇撃沈 戰艦五隻{オクラホマ、アリゾナ、ユタ(以上米確認) カリフォルニヤ型、ウエストバージニヤ型(中略)註 一、昭和十六年十二月八日、同十八日、翌十七年三月六日の大本營發表に依る/二、カリフォルニヤ型はカリフオルニヤ及びテネシーの二艦、メリーランド型はメリーランド及びウエストバージニヤの二艦をいふ。但しメリーランド型一隻は一九四二年五月二十一日南米沖大西洋岸に於て伊太利潜水艦に依り撃沈された旨政府は發表した。從つてメリーランド型は二艦とも撃沈されたわけである)(以下略)
  9. ^ ウェストバージニア級戦艦の呼称は[22]、第二次世界大戦以前から使用されている[23]
  10. ^ 列國艦艇一覧表(昭和十一年十二月三十一日調)[25] 〔 國別:米國|現状:既成|艦名:ウェスト・ヴァジニア(48) }電氣推進|排水量:三一,八〇〇|速力:〃(二一.〇)|備砲 主砲:〃(四〇-八)/副砲:〃(一三-一二)|魚雷發射管(糎)數:―|竣工年月日(西暦):二三.一二 〕〔備考〕艦名欄の數字ハ公稱番號ヲ示ス、33-42ノ一〇隻ハ改造濟ナリ、尚産業復興費ニヨリ43以下ノ五戰艦ヲ改装セントシツヽアリ(以下略)〕
  11. ^ a b 第二章 本條約實施ニ關スル規則及用語ノ定義  第一節 締約國ノ保有シ得ヘキ主力艦[71] 各締約國ハ第二條ノ規定ニ從ヒ本節ニ掲クル軍艦ヲ保有スルコトヲ得 合衆國ノ保有シ得ヘキ軍艦 艦名「メリーランド」噸數三二,六〇〇(中略)第二條ノ規定ニ從ヒ「ウェスト、ヴァージーニア」級二隻ヲ完成シ且「ノース、ダコータ」及「デラウェーア」ヲ廢棄シタル上ハ五十二萬五千八百五十噸ナリ(以下略)
  12. ^ a b その情景は“戦艦通り Battleship Row”と呼ばれていたという。“戦艦桟橋”、“戦艦横丁”[33]と翻訳した資料もある。
  13. ^ 西村艦隊の戦艦扶桑はアメリカ軍水雷戦隊の雷撃で沈没しており、アメリカ戦艦部隊は関与していない[44]
  14. ^ 大和型戦艦18.1インチ砲を装備した満載排水量7万トン級戦艦だったが[46]、アメリカ海軍の認識では45,000トン級戦艦であった[47]
  15. ^ 建造中の米海軍精鋭[51] 本年四月一日附の調査に依れば米國海軍の精鋭たるべき超弩級艦十一隻は将に完成せんとしつゝありキャルホルニヤの既に九六一パーセント完成せるを初めとして コロラド六九.三、メリーランド九六.八、ワシントン六一.二、ウヱスト・バヂニヤ四九.五、サウス・ダコタ二六.七 インデヤナ二三.一、モンタナ一八、ノース・カロライナ二七.二、アイオワ一六.一、マサチュセッツ二.五の割に完成せるが二三隻を除きては總て建造を急ぎ居り(華府)(記事おわり)
  16. ^ (前略)第二艦の「陸奥」は華府會議の際既に竣工してゐたにも拘らず、米國が未成艦なりと主張して譲らなかつた爲に喧ましい問題となり、遂に「陸奥」を生かす代りに、米國は當時建造中の十六吋砲戰艦「コロラド」「ウェスト・ヴァージニア」の二艦を生かし、英國は新たに「ネルソン」「ロドネー」の十六吋砲戰艦二隻を建造することになつて鳧がついたことは有名な史實である(以下略)[53]
  17. ^ 修正された海軍縮小案 日英米佛伊五國協約として調印せん[68](華府十二月十五日發)本夜國務省は正式に日英米三大國海軍主力艦五五三比率が協定に達した旨發表した。日本は其要求通り舊艦攝津の代りに陸奥を保留し、米國はデラウエヤ及びノースダコタの代りにメリーランド級のコロラドとワシントンを保留、英國はメリーランド及び陸奥級の超弩級艦二隻を新たに建造し其の代りに保留と決し居る四隻を廢棄するであらう。(以下略)
  18. ^ 十六日東京發東方電[69] 華盛頓來電に依れば海軍比率問題の協議は結局日本は『攝津』を廢して『陸奥』を復活し米國は『デラウヱア』と『ノースダコタ』を廢して未製艦『コロラド』と『ワシントン』を建造することとなり英國は老齢艦五隻を廢して計畫中のフード型二隻((四萬五千噸))を建造することに成立し十五日調印する筈なりと(記事おわり)
  19. ^ 第一節 主力艦/(一)總説(中略)[70]更に又華府會議の結果として、一旦廢棄の運命に在つた我戰艦陸奥が復活され、之と均衡を保つべく米國に於てはコロラド及ウエスト・ヴアジニアの二艦を竣工就役させ、英國は新たにネルソンロドネーの二隻を建造することとなつた。(米國戰艦コロラド、要目および寫眞)
  20. ^ 第二條[23] 締約國ハ第二章第一節ニ掲クル主力艦ヲ各自保有スルコトヲ得本條約實施ノ上、合衆國、英帝國及日本國ノ既成又ハ建造中ノ他ノ一切ノ主力艦ハ第二章第二節ノ規定ニ從ヒ之ヲ處分スヘシ但シ本條中ノ左ノ諸規定ヲ留保ス
    合衆國ハ第二章第一節ニ掲クル主力艦ノ外現ニ建造中ノ「ウェスト、ヴァージーニア」級二隻ヲ完成シ之ヲ保有スルコトヲ得 右二隻完成ノ上ハ「ノース、ダコータ」及「デラウェーア」ハ第二章第二節ノ規定ニ從ヒ之ヲ處分スヘシ
    英帝國ハ第二章第三節ノ代換表ニ從ヒ基準排水量各三萬五千噸(三萬五千五百六十「メートル」式噸)ヲ超エサル新主力艦二隻ヲ建造スルコトヲ得右二隻完成ノ上ハ「サンダラー」「キング・ジョージ」五世、「エージャックス」及「センチューリオン」ハ第二章第二節ノ規定ニ從ヒ之ヲ處分スヘシ
  21. ^ 8代目のワシントン (USS Washington,BB-47) は、1919年(大正8年)6日30日に起工、1921年(大正10年)9月12日に進水、1923年(大正12年)11月10日に廃棄が決定した。1924年(大正13年)11月下旬に各種爆破実験と艦砲射撃の標的となって沈没した[73]ノースカロライナ級戦艦2番艦のワシントン (USS Washington, BB-56) は9代目。
  22. ^ 海軍協定案公表[74](中略)二、日本は『攝津』を廢棄し『陸奥』を加へ米國は『ノースダコタ』『ベラウェア』の除き『ワシントン』及『コロラド』を加へ英國は英國噸數に於て三万五千噸以下のもの二隻を新造しキングジョージ五世級四隻を廢棄す(以下略)
  23. ^ ニューポート・ニューズ社はレキシントン級巡洋戦艦2番艦コンステレーション (USS Constellation, CC-2) と同級4番艦レンジャー (Ranger,CC-4) を建造中だったが、ワシントン軍縮条約により2隻とも建造中止となった。[77]
  24. ^ 戰艦“長門 ながと”[79] 全要目{排水量32,720噸 速力23.0節 備砲 40糎砲8門 14糎砲20門 12.7糎高角砲8門 魚雷發射管6門 起工大正6年8月 竣工大正9年11月 建造所 呉海軍工廠} 長門は40糎砲といふ巨砲を世界で初めて搭載した戰艦であり、艦型に於ても從來のものを完全にノツクアウトし、列強海軍をして瞠若たらしめた艦である。從來先進列強にとかく後塵を拝せしめられてゐた帝國は一躍世界をリードする日本たることを證明したのである。新鋭長門は今や聯合艦隊主力として海軍無條約時代に備ふ我海軍たのみの艦である。戰艦は艦隊の根幹でありその價値は搭載する主砲の威力と防禦設備如何に依つて決定される。主砲は敵主力艦隊を撃滅するものであり、副砲は主として來襲する敵の輕快部隊に備へるものである。世界の七大戰艦とは、我が“陸奥” “長門” 英の“ネルソン” “ロドニー” 米の“ウエスト・ヴァジニア” “コロラド” “メリーランド”の七艦である。
  25. ^ 日本近信 十一名の遺骨をのせて練習艦隊歸る 無電羅針局設置の急を説く百武司令官[83] 昨年十一月十日横須賀を出港した百武中将の率ゆる練習艦隊八雲、出雲、淺間は南北アメリカの兩海岸及び南洋を巡航し二萬浬を走破して四月四日午前九時横須賀に歸港した出雲艦はヴァンクーヴァーで汽艇の沈没により悲惨な死を遂げた下士官兵十一名の遺骨を搭載して來た(中略)米國海軍省がその最新鋭の戰艦ウエストヴァージニア。メリーランド。コロラドの三隻をワイレー中将の指揮の下に接待の任務を以て廻航させた外種々の催しを爲し我が艦隊を歡迎してくれた(以下略)
  26. ^ 自序[85] 大正十三年から十四年にかけて、帝國海軍練習艦隊(淺間、八雲、出雲の三艦、司令官は百武中将・現侍從長)は横須賀を發し、布哇、アカブルコ(墨國)、パナマ、マンザニオ(墨國)桑港 バンクーバー、ホノルル等を經て南洋委任統治領を巡航した。余は淺間艦長として、この練習航海に從事したが、桑港碇泊中、米東洋艦隊の精鋭『ウエストバーヂニヤ』『コロラード』『メリーランド』の三艦が接伴艦として歡迎これ努めた。/ 當時米國は皇國に對し、殆んど禁止的とも見られる移民大制限を斷行した直後であり、皇國の與論も、嘗て見ざるほどの沸騰を惹起しつつあつた折柄、米國民上下は、日本が如何なる態度に出るかに就いて、異常な注目を集中してゐた。(以下略)
  27. ^ 無限の感慨を殘し練習艦隊出港 七臺の飛行機と米艦乗總員の登舷禮に送られて海を壓する軍樂交換[87](中略)兩司令官の別辭 固き握手は日米親善の明な現れ午前七時半我が百武司令官は各艦長幕僚を從へ米艦隊旗艦ウエストバーヂニアにワイレー司令官を訪ひ無量の感慨を短い言葉に託して感謝と別辭とを殘して歸艦すれば之に應ずべくワイレー中将も午前八時半幕僚を從へ旗艦淺間に至り別辭と共に之を通じて固く恒久なるべき日米兩國の親交を希望して去る。(中略)荘嚴なる君ヶ代勇ましき軍歌と兩海軍歡呼の聲 やがて正一時重き錨がスルすると捲上げられると見る内に浮城の如き巨艦淺間が先づ徐々に行進し續いて出雲、八雲も之に從ふ。米艦隊のウエスト・バーヂニア、メリーランド、コロラド、アイダホの四艦總員は此の時登舷禮を行ひ二聲三聲我が艦と喇叭の別辭があるウェスト・バーヂニアからは湧くが如く君ヶ代の軍樂が海面を渡つて響き、次で米國々歌と送別の、『螢の光』の曲が奏せられる。空には爆音勇ましく 七臺の米陸軍飛行機が雁行し 又相亂れ飛び幾回となく我が三艦をかすめて低空飛行を試みその都度我が将士が帽をふって應ずる。米艦からは萬歳の聲が雷と鳴り、我も亦萬歳三唱と共に米國々歌と『攻めるも守るもくろがねの…』の軍樂が淺間より起つて實に 壮美極り なく互に感激あふれて未曾有の史的光景を點出した。淺間の軍樂隊は尚も『螢の光』を奏して其の響の薄れ行くと共に艦影も又金門灣のあなたに棚曳く煙をのこして消ゑ行いた。(記事おわり)
  28. ^ 再軍備宣言後により、ドイツ共和国海軍 (Reichsmarine) がドイツ海軍 (Kriegsmarine) となる。
  29. ^ 米國海軍の現有勢力(一九三七年七月一日)[98] (一)主力艦 一五隻 この内一〇隻は既に改装濟であつて、再改装をするものもある。我が「長門」「陸奥」に匹敵する四〇糎砲主力艦は、「メリーランド」「コロラド」「ウェスト・ヴァ―ヂニア」の三艦である。
  30. ^ アンダーソン少将の着任は、1941年(昭和16年)1月下旬であった[107][108]
  31. ^ NHKアーカイブス「特報ハワイ大空襲」、メリーランド型戦艦と戦艦横丁の映像[109]
  32. ^ メリーランドの前方には給油艦ネオショーと戦艦カリフォルニアが、戦艦アリゾナの後方には戦艦ネヴァダが停泊していた[113]
  33. ^ (前略)劈頭の第一撃はフオード島東側泊地の敵大主力艦群に向けられた。/ 眞珠灣深くフオード島寄りにオクラホマ型(ネバダ)につゞいたオクラホマ型と特務艦、次にアリゾナ型(テネシー)とメリーランド型(ウエスト・ヴアージニヤ) アリゾナ型(アリゾナ)メリーランド型(メリーランド)とが、それぞれ二隻宛舷を摩し、少しはなれたところにカリフォルニヤ型(カリフオルニヤ)對岸の海軍工廠内深くカリフオルニヤ型(ペンシルバニヤ)が見事な艦列を敷いてならんでゐた。/ 眞珠灣には、標高千餘米の山嶺が、西側にせまつてゐる。編隊をもつて雷撃することは、きはめて困難なことである。[115](以下略)
  34. ^ 村田大尉機もウェストバージニアに魚雷を命中させ「われ、敵主力を雷撃す、効果甚大」と打電している[120]
  35. ^ もしネオショーが被弾、燃料に引火して大爆発をおこしたら[128]、周辺の戦艦達は焼き尽くされていた筈である[129]
  36. ^ 水平爆撃隊50機(淵田機含む)の内訳は[133]、赤城15、加賀15、蒼龍10、飛龍10[134]
  37. ^ 日本側記録ではウェストバージニアに800kg徹甲爆弾3発、加賀急降下爆撃隊が250kg爆弾1発命中[8][137]
  38. ^ ベニオン艦長を記念し、フレッチャー級駆逐艦の1隻がベニオン (USS Bennion,DD-662) と命名された。後日、レイテ沖海戦でウェストバージニアと同じく第77任務部隊に所属した[141]
  39. ^ ミラーは、ウェストバージニアのヘビーウエイト級ボクシングのチャンピオンであった[142]。戦闘配置は対空火器弾薬庫。
  40. ^ ミラー達は負傷したベニオン艦長を艦橋から運び出すように命じられたが担架がなく、担架が届くまで対空戦闘に従事したという[144]
  41. ^ 後日、ミラーは護衛空母リスカム・ベイ (USS Liscome Bay, CVE-56) に配属され、同艦沈没時に戦死した(ガルヴァニック作戦)。彼を記念して、アメリカ海軍はフリゲート艦ミラー (USS Miller, FF-1091) を建造し、原子力空母ドリス・ミラー (USS Doris Miller, CVN-81) の建造を予定している。
  42. ^ 対空警戒用レーダーも、前部マスト頂武にSK型を、後部の棒状マストの頂部にSC型を搭載した[147]
  43. ^ 損傷しながら海峡から脱出した最上だったが、昼間の航空攻撃で致命傷を受け[163]、救援にきた駆逐艦(第7駆逐隊)に処分された[164]。逃げ遅れた朝雲は追撃してきたオルデンドルフ部隊によって撃沈された[165]

出典

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