FACOM 100
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 08:53 UTC 版)
FACOMは、池田敏雄 、山本卓眞)、山口詔規が1954年10月に完成させたFACOM 100から始まる。FACOM 100は、富士通が最初に製作したコンピュータであり、日本最初期のリレー式計算機のひとつでもある。当時、使用できるデバイスとしては真空管もあったが、真空管は寿命が短く、故障率が高かったことや、富士通が電話交換機を製造していた関係でリレーが豊富に使用可能だったことからリレーが採用された。以前から、真空管式のカウンタなど基本回路の実験も行ってはいたが、ただちに電子計算機の開発に進むには、技術的にも経済的にも、制約条件が大きかったないし無理があった、とされている。 (FACOMに限らずリレー式の計算機一般について言えることであるが、現代のほとんど全てのコンピュータのようなクロック同期設計ではなく、その多くが非同期設計であることに注意が必要である。FACOMのリレー式計算機も非同期設計である) 東証の計算機の経験からリレーの接触不良に対処するため、自己検査回路により、誤動作が起きた場合にはそれ以上動作が進まないような回路とし、誤った結果は出力しないというある種のフェイルセーフ設計とした。FACOM 100は十進法の計算機で、演算装置の符号系には3増し符号を使っているが、その冗長性を利用してパリティ的なチェックを行うものである。ノーベル賞受賞者の湯川秀樹が「人手では2年はかかる多重積分を3日で解いた」と高く評価した。FACOM 100は試作・実験機であり、販売されることはなかったが、計算機が他にほとんどない時代であり(日本初の真空管によるコンピュータが稼働したのは1956年のFUJICである)、FACOM 100を利用した計算サービスを提供して、社内はもとより、官民学の計算需要に対して実用に供せられた。 なお、池田による『科学』1955年6月号の記事「リレー式電気計算機について I」中には、FACOM 100に引き続いて完成予定の計算機として、FACOM 118という番号が見られる。 また、この頃に電気試験所が設計したETL Mark IIの製造を依頼され、1955年11月に完成させている。
※この「FACOM 100」の解説は、「FACOM」の解説の一部です。
「FACOM 100」を含む「FACOM」の記事については、「FACOM」の概要を参照ください。
- facom100のページへのリンク